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中日両国の歴史観:その相違と解決への道
発信時間: 2008-11-07 | チャイナネット

:では、国家や民族の間の争いには全く善悪の基準は存在しないのか。

 

:善悪の区別は当然ある。もし善悪の区別がないなら、ドイツ人民はユダヤ人の虐殺を反省するはずがない。日本の有識者の多く、数多くの善良な一般の日本人はみな日本軍国主義の中国侵略の歴史と罪状に深い反省と批判を行っており、そこには中国侵略に参与した日本の軍人も含まれている。これは善悪の区別の作用を十分に表すものだ。しかし私が先に述べたような原因から、私たちは問題の別の側面も見なければならない、つまり異なる地域、異なる民族、異なる国家の人民は、歴史に対する見方が完全に一致することは難しいということだ。

 

もう一つ例を挙げたいと思う。もし民族問題という角度から従来の中国の歴史著作を振り返れば、次のようなことが簡単にわかるだろう。「漢族中心」または「漢族本位」という思想で中国歴史の記述を指導するのことが、長期間にわたって、また大きな程度以上で今日に至るまで依然として歴史研究中に存在する顕著な問題となっている。なぜこうなのか。こうした歴史著作の多くが漢族の人間や既に文化的、心理的に「漢化」された人間によって書かれたためだ。今日にいたるまで、単純な理論面で言えば「大漢族主義」または「漢族本位主義」は既に破棄されているものの、多くの具体的な論述の中でこうした思想意識の潜在的な作用が常に根強く表現されている。例えば我々はよく情熱的に「匈奴未滅、何以家為(匈奴族が滅亡していないのに、家を建てることはできない)」と表現される愛国主義の大きな志を讃えるが、中華民族の歴史的メンバーである匈奴民族も同様に生存し生存空間を持つ権利があることを忘れている。私たちは李陵が匈奴に投降したことを非難するが、呼韓邪単于や金日が漢王朝に投降したことは評価し褒め称えている。我々は衛青や霍去病が匈奴の豊かで美しい河西地域を奪った歴史的功績を賛美するが、匈奴民族が河西後を喪失した後に詠った「亡我鄧連山、使我六畜不蕃息。奪我焉支山、使我婦女無顔色(大意:土地を荒らされ、家畜を育てる場所はなくなった。土地を奪われ、女たちが悲しんでいる)」という物悲しい嘆きの歌には全く心を動かさない。また一般的に言って、歴史上の漢族政権が少数民族の政権に弱みを見せる行為はいずれもけなされ、逆に少数民族の政権が漢族政権に弱みを見せる行為の多くは賞賛されている。これは次のようなことを表している。我々は理論的には既に偏狭な「正統」史観を批判しているものの、実際の認識には依然として「漢族本位」思想が頑固に存在し、中華民族が古来から一つの「多民族統一体」で「統一的な他民族国家」であったという角度から歴史問題を認識することはほとんどないのだ。

 

匈奴民族が河西の地を失った後に詠った「亡我鄧連山、使我六畜不蕃息。奪我焉支山、使我婦女無顔色」という悲惨な哀歌は、「史記」の中にはっきりと記載されている。これについて漢族の史学家の多くは避けてとおり語ることはないが、司馬遷の記述は我々に古代の民族間の生存空間争奪の残酷さを理解させてくれるのだ。この事実は何を説明しているのか。人間の歴史認識が認識の主体を離れることは不可能だということを説明しているのだ。異なる地域、異なる民族、異なる国家、異なる地位の人間では、歴史に対する見方が完全に一致することは非常に難しいのだ。

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