映画『梅蘭芳』は不世出の京劇名優をもう一度追憶させることになった。梅蘭芳は日本ではかつて不世出の名優と見なされていたが、梅蘭芳も自分なりのやり方で日本の対中侵略に抵抗した「偉丈夫」であった。日本人友人の故内山完造氏によると、梅蘭芳はかつて香港で日本の憲兵に軟禁され、強制的に上海に連れて行かれたことがある。このちょっとした史料は当時に名優が直面した険悪で微妙な生存環境を示すものである。
四大名旦(京劇の四大名女形)のトップ格としての梅蘭芳の芸術レベルと芝居に対するあくなき追求は、今日に至っても依然として伝統演劇界における乗り越え難い高峰と見なされている。1919年に梅蘭芳は訪日公演を行い、日本で非常に大きな反響を呼び起こした。その時、梅蘭芳は26歳で、ちょうどその芸術のレベルが大家の境地に達した時であり、しかもイメージ、エネルギーがピークにあった。日本で保存されている古いスチール写真が1組あり、中には『花を葬る林黛玉』、『花をまき散らす仙女』、『虹霓関』、『御碑亭』、『琴挑』、『扇子を引き裂く晴雯』、『花木蘭』、『寿を捧げる麻姑』、『酒に酔った楊貴妃』などが含まれ、その中からそれらの公演における梅蘭芳の風格と演技および梅派京劇芸術のレベルをはっきりと見て取ることができる。
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