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中山千慧:五輪ボランティアで架け橋に
発信時間: 2009-01-20 | チャイナネット

清華大学 新聞伝播学院本科生 中山千慧

8月24日の夜、北京の国家体育場「鳥の巣」で、中国国民かねてからの願いだった北京オリンピックが円満に閉幕しました。その閉幕式で中国の国旗がゆっくりと揚がるのを目の当たりにし、私は思わず涙ぐみました。それは単にオリンピックの閉幕イベントに参加できたからではなく、北京オリンピックが成功を収めたことが純粋に嬉しかったからです。

7年前、父の仕事の都合で中国に来たとき、私は中国語と現地の広東語がほとんど分からず、とても心細い思いをしました。簡単な日常会話なら何とかなっても、相手の喋るペースが少し速くなるだけで全くついていけなくなります。適切な中国語を選べなかったばかりに、相手を怒らせてしまったこともありました。今回五輪ボランティアに応募した理由の一つに、「言葉が通じないことで日中双方に誤解が生じて欲しくない」というものが挙げられます。自分に深い関わりのある中国と、訪中してくる日本人の双方を手助けできる五輪ボランティアは、正に絶好のチャンスでした。

私が五輪ボランティアを務めたMPC(メインプレスセンター)は、北京オリンピックが開催される8月8日の一カ月も前から運営を開始しました。私の担当はMPCのレンタルスペースオフィス。中国語で「租用空間」と呼ばれる部署で、記者やカメラマンの本部があります。基本的には通訳を中心とした連絡役ですが、雑務を頼まれることも多く、初日から家具を動かしたり通知文を翻訳したりと大忙しでした。

8月に入り仕事が一段落してからも、椅子の背もたれが壊れたり、ホテルの予約を変更したりする場合に、真っ先に私たちが呼ばれました。金銭絡みのトラブルが発生した際の通訳が一番厄介で、問題が解決してから中国側のサポーターに「あなたは中国の味方なの、それとも日本の味方なの」と嫌味を言われ、やるせない思いをしたこともありました。

仕事場が記者の集まるプレスセンターにあるため、私たちボランティアはあらかじめ「あなたたちの働きは常に各国の報道陣に見られています。これはオリンピックの、ひいては中国自身の印象に大きく影響します」と言われ、プレッシャーをかけられました。楽しくもあり、同時に緊張も絶えなかったボランティアの仕事ですが、オリンピック終了後、日本メディアの方から頂いたメールに「ボランティアの方々の献身的な対応、親切な人柄に触れ、最後は中国から離れ難くなっていました」とあり、その努力が報われる思いでした。幼い頃から日本と中国という異文化の両国を背景に育ち、漠然と「日中友好の架け橋になりたい」と思っていましたが、ようやく具体的な行動に移すことができたと言えます。

閉幕式のとき、国際オリンピック委員会のロゲ会長の挨拶に「この大会を通して世界が中国を知り、中国も世界を知りました」という言葉がありました。北京オリンピックの開催は中国にとって長い成長過程のうちの一つに過ぎず、目の前にはまだまだ解決すべき問題が山積みです。今大会をきっかけに、中国が他国の優れた面を学び、反対に世界も中国の良い面を新たに発見してくれることを願っています。

 

プロフィール

1989年中国出身。幼少のころ日本に渡り、日本国籍に帰化。高校からインターナショナルスクールに通い、本格的に中国語の勉強を始める。現在北京の清華大学に留学中。専攻は新聞学。

おすすめスポット

景山公園。景山は明清時代の皇帝の庭園となった山で、紫禁城の北に位置します。夕暮れ時に山頂の万春亭から見る故宮全貌は、まさに絶景。山といっても小高い丘程度なので、故宮を観光する際はぜひ足を伸ばして景山公園にも行ってみてください。

「人民中国インターネット版」より2009年1月20日

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