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梅蘭芳と市川猿之助との縁~舞台裏の物語②
発信時間: 2009-02-25 | チャイナネット

 1950年代の中日交流

中国と日本の間で人的往来が始まり、民間の文化交流が大きな進展を遂げたのは1950年代の中頃。1955年3月には第3回中日民間貿易協議の交渉のために、中国貿易代表団が日本を訪問、その後、中国と日本の商品展覧会が両国で行われるようになり、文化や科学の交流も盛んになった。1955年の5月には安倍能成を団長とする日本学術会議代表団が訪中、12月には郭沫若が団長の中国科学代表団が訪日している。

こうした時代背景の中で、1955年10月5日、日本の歌舞伎座理事、大博劇場支配人の松尾国三、市川猿之助の訪中公演団が、中日友好協会の招きで、香港を経由して大陸部に到着した。

その一行を梅蘭芳も空港まで出迎えに行っている。初めての訪中で不安を抱いていた市川猿之助はのちに、「梅蘭芳先生とは言葉も交わしたことがなく付き合いもありませんが、飛行場に出迎えに来てくれたことで、とても気持ちが落ち着きました」と振り返っている。

 

梅蘭芳氏と日本の歌舞伎俳優との記念写真。右は岩井半四郎、左が市川松蔦(1955年10月)

毛沢東主席や周恩来総理も観劇

日本の伝統芸術の歌舞伎が、中国で公演するのはこれが初めてだった。出し物は『だんまり』『勧進帳』『ども又』『二人道成寺』の4つが予定されていたが、『だんまり』は時間の都合や市川猿之助が疲れてはいけないという理由で演じられなかった。45日の中国滞在中、北京8回、上海5回、広州3回の公演が行われ、どの都市でも多くの観客が押し寄せ満席になった。

北京公演には、当時、演劇や日本文化に詳しかった田漢や欧陽予倩、楊翰生も訪れた。そして毛沢東主席や周恩来総理も興味深く観賞し、芝居が終わった後には市川猿之助と会見している。

 

「市川先生はさすがです」

訪中の間に市川猿之助と梅蘭芳は、中村雀右衛門の司会で座談会を行っており、梅蘭芳は3つの芝居について、こう感想を述べている。

「『勧進帳』の構成から市川先生の演技まで、まるで京劇の花臉戯(花臉は淨、つまり敵役またはそれにちかい役柄)を見ているような気がしました。市川先生の弁慶は、同じ役者から見ても非常に正確で力がこもっており、これは長い間の鍛錬の賜物だと思います。市川先生の視線はとてもはっきりしていて迫力があり、演劇の持つリズムをよく伝えます。それに目の動きには少しの無駄がなく、本当に感服しました」

「『ども又』の芝居は、主人公のやるせない気持ちがほんとによく表れていて、見ていてもらい泣きしそうになりました。弁慶とども又という、こんなにかけ離れた役をどちらも立派に演じることができる市川先生はさすがです。『二人道成寺』には、日本の様々な舞踊が取り入れられており、非常に興味深く見せていただきました」

梅蘭芳率いる京劇代表団が日本に赴き、行く先々で日本人たちの熱烈な歓迎を受けた。

続く梅蘭芳と市川猿之助の交流

市川猿之助は訪中前の心境を、「歌舞伎の外国訪問は今まで何度も計画されてきましたが、なかなか実現せず、今回も無理なのではないかと不安でした。しかし9月6日から急に話が具体的になり、実際に準備に取り掛かってからは1カ月もありませんでした。北京公演については、芝居をしているうちに中国にいることも忘れ、日本のことも忘れて、いつも芝居をしている時と同じ気持ちになりました。これが芸術には国境がないということでしょう」と語っている。

座談会では化粧道具にも話しが及んだ。梅蘭芳は、今でも日本から持ち帰った筆やハケを使って化粧し、中国の化粧師は日本の化粧筆をほしがっていると話すと、市川猿之助は「こんどの公演が終わって広東を経つ時に、中村先生を通じてお届けしましょう。品物はつまらないものですが、使い慣れた筆とハケは貴重なものですが、それを割愛します」と笑いながら言ったという。

翌年は、中国京劇団が日本で公演することに決まっていた。梅蘭芳は座談会でのあいさつで、「その時には市川先生のご協力と御指導をお願いします」と述べ、翌年、市川猿之助は、日本を訪問した梅蘭芳のために盛大な宴会を催した。(文中は敬称略)

参考資料:『人民中国』1955年11号

孫平化の回億録『日本との30年』

「チャイナネット」2009年2月25日

 

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