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『白毛女』が結んだ周恩来と松山バレエ団の深い友情 |
発信時間: 2009-03-20 | チャイナネット |
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周恩来の言葉で会場には大きな拍手が沸き起こった。中日両国の3人の「白毛女」はまるで古くからの友人のように親しげに語り合い、楽しく交流した。両国の白毛女が一堂に会すという歴史的シーンをカメラはしっかりととらえた。
周恩来自らが「監督」となったこの場面は松山樹子に深い印象を残した。このような温かい場面を経験したのは初めてのことで、驚き、感動したという。これ以降、松山樹子は王昆と田華と深い友情を結んだ。そしてこのときから松山樹子一家と松山バレエ団は中国の常客となり、両国の民間友好に逆風が吹いているときも変わらず交流を続けた。 中国の学生を指導する松山樹子(右から2人目)
「周総理を思い出すたびに中国人が好きになる」 中国の「白毛女」の支援を受けて、松山樹子は自らの『白毛女』を大幅に手直しし、さらに磨きをかけた。1958年にはそれを携えて中国に「里帰り」し、北京、重慶、武漢、上海などで公演を行って劇場を大いに沸かせた。
松山バレエ団は1964年11月1日に再び訪中公演を行った。この公演には周恩来の手配によって毛沢東や劉少奇、朱徳ら指導者も足を運ぶとともに、ちょうど中国を訪問していたアフガニスタンのザーヒル・シャー国王とホマイラ王妃、マリ共和国のモディボ・ケイタ大統領も観覧した。松山バレエ団の団員たちはこの上なく光栄に感じた。
1971年10月の訪中公演は林彪事件の発生からあまり日が経っておらず、周恩来は多忙を極めていたが、やはりわざわざ時間を作って清水正夫らと一緒に観覧席に座り、松山バレエ団が新たに改編した『白毛女』を観覧した。林彪事件が天下の知るところとなった後、清水夫妻は多忙の中公演に足を運んでくれた周恩来を思い出し、あふれる涙を止められなかった。 |
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