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靖国神社「百日無主」の背後 |
発信時間: 2009-04-28 | チャイナネット |
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「日本新華僑報」は26日、「日本の靖国神社の最高責任者である南部利昭宮司が今年1月に死去した。新たな宮司はまだ選出されず、靖国神社はすでに「百日無主」の状態にある。戦犯の位牌がある靖国神社は、日本の一部の指導者が参拝することで、日本とアジア隣国との関係における敏感な要素になったとの考えがある。日本国内でも、右翼勢力の煽動、社会風潮の転換に伴い、靖国神社は日本国民の心の中においても絶えず注目される独特な景観となっている。現在、靖国神社の宮司が100日以上も不在になっているのは、単純な人事問題では決してなく、政治問題なのだ」との署名記事を掲載した。要旨は以下の通り。(中国新聞網) 宮司とは、靖国神社の最高責任者の職位の呼称である。今年1月7日午後2時過ぎ、靖国神社の最高責任者である南部利昭宮司が、虚血性心不全のため東京都内の病院で死去した。中国に習わしに従うなら、南部氏は73歳という人生の「厄年」に当たり、これを乗り切れなかったのだ。だが、それよりも意外だったのは、まだ新たな宮司が選出されず、靖国神社がすでに「百日無主」の状態にあることだ。 記録を繙いてみると、過去9代の靖国神社宮司のうち在職中に死去したのは、初代の青山清宮司、第5代の筑波藤麿宮司、そして第9代の南部利昭宮司だ。だが青山宮司の時は死後11日、筑波宮司の時は死後103日で、新たな宮司が選出されている。南部宮司の死後100日以上「無主」という現在の状態は、靖国神社の最高責任者不在期間の過去最長記録を打ち立てたといえよう。 戦前の靖国神社は人事を内務省が、祭事を軍部が統括していた。戦後、単立宗教法人となったことで、南部氏のような神職経験のない人も宮司になることが可能になった。 現在、靖国神社の人事の最終決定権は「崇敬者総代会」にある。この団体は日本の元最高裁長官、元厚生労働省事務次官、皇史研究家、靖国擁護派の学者、経済界代表、陸軍士官学校の校友などで構成される。だがさすがに時代が異なり、同会が全ての人事を担うわけにはいかず、通常は靖国神社側が候補者を推挙した後、同会が決定を行う。 匿名希望のある会員によると、靖国神社内部ではすでに何度も宮司不在問題を話し合っているが、新宮司はまだ決定に至っておらず、まず「宮司推薦委員会」を設置した後、崇敬者総代会で候補者について審議する予定だという。靖国神社は毎年4月21日から23日に、最も重要な行事である春季例大祭を行う。今年は靖国神社内部の三井勝生氏が代理宮司が斎主を務めた。これには多くの「守旧派」の日本人が首を横に振ったという。 今年は靖国神社の前身である東京招魂社の創立140周年にもあたる。6月29日に「御創立記念日祭」が行われる予定だが、その時になっても新宮司は推挙されないとの情報もある。 では、現在代理宮司を務める三井氏が新宮司に就任することはあるのだろうか。靖国神社側はこの件について日本の旧皇族や旧華族を中心とする人々に何度も探りを入れたが、最終的には承諾を得られなかったらしい。現在のところ、霞会館理事長の北白川道久氏と、天皇の姉にあたる池田厚子氏がふさわしい人選と見られている。だが、両氏は伊勢神宮の大宮司と祭主であり、神社の規定では、例外的な状況が生じない限り、靖国神社の新宮司にはなれない。 戦犯の位牌のある靖国神社は、日本の一部の指導者が参拝することで、日本とアジア隣国との関係における敏感な要素になったとの考えがある。日本国内でも、右翼勢力の煽動、社会風潮の転換に伴い、日本国民の心の中においても絶えず注目される独特な景観となっている。現在、靖国神社の宮司が100日以上も不在になっているのは、単純な人事問題では決してなく、政治問題なのだ。 日本の麻生太郎首相は少し前に、靖国神社に職員を派遣して貢物を献上し、再び隣国の抗議を引き起こした。これは麻生首相に、A級戦犯14人の位牌を「分祀」するという、総務大臣時代の構想を再度検討することを促したという。現在、日本遺族会会長を務める古賀誠議員もA級戦犯の位牌の分祀を主張している。だが、靖国神社の南部前宮司は、かつて官庁と対立し、「分祀」に断固反対した人物だった。では、新宮司はどうだろう。 見たところ、これが新宮司の選出が難航している重要な原因の1つのようだ。日本とアジア隣国との関係のために、そして何よりも日本自身の国際的利益のために、靖国神社は改革に直面している。人事は、改革の必要な重要な箇所の1つなのだ。 「人民網日本語版」2009年4月28日 |
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