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まほらまの南京生活:小学生時代は作文が大の苦手
発信時間: 2009-05-04 | チャイナネット

文=南京大学日本語学部専家 斎藤文男

 

まほらまの南京生活①旅人では見えなかった「老百姓」の生活

まほらまの南京生活②―ウェンナン先生行状記

まほらまの南京生活③食に纏わる不思議いっぱい

まほらまの南京生活④数字にかかわる日中感覚の違い

 

小学生のころは作文が大の苦手だった。しかし、そんな児童が10数年後には新聞記者になっているのだから、世の中分からないものである。作文が苦手で嫌いだったのは、小学校6年生のとき、宿題として毎日、日記を書かされたからだ。書いた日記は毎朝、担任の森田達夫先生に提出する。先生はいつ見ていたのか分からないが、その日のうちに児童58人(男子33人、女子25人)全員の日記を見て返却する。赤字で3、4行注意書きがあった。森田先生は当時28歳の“熱血先生”。昼休みや時間休みの短い間に、58人もの子供たちの日記を毎日読む先生の労力は大変なものだが、書くわれわれも大変だった。遊びまわって疲れて眠くなってから書き始めるので、ろくな文章にはならない。

書き始めは6年生の「4月19日、日曜日 晴れ」だった。

「今日はあんまり天気がいいので、兄とぼくはつりに行く事になった。‥‥」

遊んだことをメモ程度に書いてあり、とても6年生の文章とは思えない。日記は夏休み前の「7月14日、火曜日」まで毎日続いていた。3カ月間、毎日書かなければならないので、遊んでいるときも、「今日は日記には何を書こうかな」と考えるようになった。今日の空の色は、どんな色と表現したら先生にほめられるだろうか。雲の形は何に例えたらいいかなあなどと考え、じっと見たり考えたりするようになった。新聞記者の原点になったのかもしれない。

夏休み前のころには、「大分よくなったようだが、見たり、聞いたり、思ったりしたことの反省が足りない」と先生の注意書きにあった。数行の文章でも毎日、何かを書いていると自然に上達するものだ。苦手ではあったが、書くことがそれほど苦痛ではなくなっていた。書く前によく観察するのも習慣になった。

キャプション

1、今年創立107年を迎えた南京大学鼓楼校舎の行政楼

2、「蛍の光 窓の雪‥‥」100年余の蛍雪に耐え、歴史を今に伝える旧留学生寮。(現在は大学経営のホテル)

3、大学生活の思い出は一生の思い出になる(浦口校舎に飾られた春節の飾り)

4、授業を終えて、これから2人で食事と楽しい語らいへ(鼓楼校舎にて)

5、新芽が膨らむ木の芽時。毎年やってくる春は、将来への夢と希望も大きくなる(浦口校舎にて)

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