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「GDPで日本を超える」への安易な喜びに疑問
発信時間: 2009-05-20 | チャイナネット

パイが大きくなっているのに分配が公平でない状況では、GDPが大きくなればなるほど、収奪されているという感覚は強くなり、社会的なリスクも大きくなる。事実上、中国の貧富の差は広がっている。中国のジニ係数は警戒ラインとされる0.4を1994年に超えた。07年にはさらに高い0.48に達した。

 

別の統計も同じ事実を示している。世界銀行は06年、中国では人口の4%が財産の70%を握っているとの統計を発表した。米国では人口の5%が財産の60%を握っている。深刻な貧富の差は、「一人当たりGDP」という指標もむなしいものとしている。中国のほとんどの人がこの指標の下に位置している以上、この指標には、大多数の貧困を隠す意味しかない。人々は、国家のGDPというむなしい幸福感も、一人当たりGDPというむなしい幸福感も必要としてはいない。必要なのは、本当の幸福感だ。

 

中国は強大化しているのではなく、肥大化しているにすぎない。肥大化した体には本当の力はなく、そこにはさまざまな病のもとが隠されている。中国経済の実質的な価値は低く、科学技術の革新能力は不足している。高い経済成長率は、労働力を安価で売り、環境破壊を犠牲にして手に入れたものだ。肥大化のために払った代価は数知れない。環境の深刻な汚染、奇病の多発、商品の安全問題。国は富みても民は富まず。弱者たちは生存のための苦しみにうめいている。中国政府もこの問題を意識し、改善に努力している。だがどのような変革もすぐに成功するというわけにはいかない。

 

このように、「中国のGDPが日本を超える」というだけで安易に喜ぶことは決してできない。

 

中国のGDPが日本を超えるのは初めてではない。清朝の頃、中国のGDPは世界で一、二を争う水準にあり、日本をはるかに上回っていた。それにもかかわらず、清国は甲午戦争(日清戦争)で日本に惨敗したのだ。この原因はいろいろと考えられるが、当時の中国はGDPこそ高かったものの、茶葉や磁器などのローエンド商品で儲ける貧国だったということが挙げられる。一方、当時の日本はGDPこそ低かったものの、その実質的な価値は高く、大砲や船舶で儲ける富国だった。

 

中国のGDPは1949年にも日本を上回っていたという。第二次世界大戦で日本は敗戦国となった。だが日本には科学技術が残っており、進んだ制度も残っており、優れた人材も残っていた。戦後20年の短い間で日本が復興したのはそのためだ。

 

「一流の制度、一流の技術、一流の人材」という土台のないGDPは、肥大化することはできても強大化することはできず、困難な状況を乗り切る力があるとは言えない。

「人民網日本語版」2009年5月19日

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