5月18日、映画「レッドクリフ(原題:赤壁)」はPart 1、2の2作合わせて日本での興行収入が100億円(約7億元に相当)の大台を突破し、中国映画として日本における史上最高の興行成績を記録した。この作品の主題歌を担当したのは、日本の音楽シーンで奮闘するチベット族出身シンガー、alan(本名:阿蘭・達瓦卓瑪)だ。映画の成功とともにalanに対する評価も高まった。約30年間、多くの中国大陸出身シンガーが日本で苦労を重ね追いかけても掴めなかった成功を、alanは手にした。
日本での初体験
美しい顔立ちをした21歳のalanは、元気な女の子そのものだ。率直で誠実な様子にはスター気取りなど少しもない。「日本に来て約2年経ちましたが、中国語で取材を受けたのは3回だけ」としながらも「中国語で話すほうが楽しい」と語る。
来日前は中国で女性音楽グループのメンバーとして活動。新人ボーカルコンテストに出場し、文芸工作団とともに各地で慰問公演を行ったこともある。だが、こうした中国での経験は日本では通用しなかった。四川省の山間の地からやって来たチベット族の少女は、「プロシンガー」とは何かを知ることになった。
来日から3カ月経った2007年11月、「明日への讃歌」で日本デビューを果たした。2008年3月にはセカンドシングル「ひとつ」をリリースしたが、CD売上げ枚数は合計でわずか1486枚。CD売上げ枚数を正確に集計する日本では、全てを語る数字が重視される。不安になり「CDがこのままの売れ行きでは、私を中国に『送還』することになりますか」と所属事務所の社長に尋ねると、「5、6年は大丈夫だが、努力しなければならない」との答えが返ってきた。
「努力」の意味をalanは知った。1年余りの間に日本語で9曲とアルバム1枚、さらに中国語で数曲を発表した。このうち日本語曲全曲については、宣伝のためにプロモーションビデオを制作。撮影はいつも明け方3~4時に始めなければならなかった。また、事務所の指示でファンとの交流を図るために、日本語と中国語でブログを書き続けた。これに加えて、テレビのバラエティ番組やライブ番組、大小様々な規模のコンサートに出演し、CD販売を兼ねたサイン会を行うほか、ファッション雑誌のモデルを務めるなどして人気を集めてきた。
この1年余りの間、alanは北京、上海、香港などを頻繁に行き来し、日本の47都道府県を全て回った。「日本全国のあらゆる場所をほぼ全て訪ねました。朝、目を覚ました時、自分がどこにいるのか分からないこともよくありました」と振り返る。
だが、仕事の忙しさよりも、仕事を終えた後に戻る1人暮らしの部屋になかなか慣れることができないという。「部屋に戻ってから眠るまでが一番辛い時間で、とても空しくなり、自分が何をしたらよいのか分かりません。テレビを見ても理解できないし、毎日国際電話をかけるお金もありません」と辛さを打ち明ける。
初めて家を離れ日本に出発する時、空港で大泣きした。しかし、今では笑顔で両親と抱き合い「再見」と言えるようになった。日本での1年半を振り返ると、本当に自分は成長したと感じることができるという。
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