文=奥井禮喜
エラスムス
エラスムス(1466頃~1536 蘭)とトマス・モア(1478~1535 英)が出会ったのは1499年夏の英国だった。一回り歳の差はあるが、二人は直ちに生涯の友人、ヒューマニズムの同志となる。
エラスムスは「痴愚神礼賛」(1511)をわずか10日ほどで書き上げた。カトリック教会の腐臭紛々たる制度と社会の状態を《痴愚神の天下》であるとして痛烈な苦い笑いで諷刺した。
なぜなら時代は暗黒だった。君主たちは自家の強大化を図ることに狂奔し、英国では窃盗罪の処罰に死刑を以てした。法自体が無秩序であり、社会を無秩序が支配する。教会や人間が浄化されねばならない。
初版1800部が即完売という大好評であった。しかしカトリック派の連中はエラスムスを異端者として猛烈攻撃した。彼を援護し擁護したのはモア、ギョーム・ビデ、ラヴレーらで少数派だがヒューマニズムの闘士である。
政治家・思想家として頭角を現したモアは「ユートピア」(1516)を発表する。しかし、ヘンリー8世の離婚問題に反対して、15カ月ロンドン塔に幽閉された後反逆罪で処刑された。処刑は英国史上最も暗黒な犯罪だった。
エラスムスは、一切の暴力を否定し、いかに生きるべきか、福音に忠実な人間たることを探求した。腐臭紛々の時代に異議を申立て、ヒューマニズム精神を訴えた。懐疑心を以て現状を批判せよ。
モア描くユートピアの人々は、金銀で便器を作り、耳飾り・指輪・首飾りの類は犯罪者が身につける。金銀財宝が人間より尊重されるのは合点がいかぬという。6時間労働を楽しみ、心を磨くことを最大の喜びとする。
信仰の自由がある、社会の気風は寛容が支配し、人々は何より戦争を嫌い、平和を求める。科学的精神を尊重し、探求心旺盛である。
エラスムスはオランダ人としてではなく、モアは英国人としてではなく、欧州人として理想国家への高い情熱を掲げた。これを学びたい。