◇日本による釣魚島の不法窃取
1884年に、日本人古賀辰四郎という人が「無主地」を発見したと主張した。1885年から1893年にかけて沖縄県庁は三回にわたり、日本政府に釣魚島とその付属島嶼を同県の管轄下に編入し、標識を建てるよう求めた。日本政府は清朝朝廷の反応を気兼ねし、批准する勇気がなかった。1895年1月、日本は中日甲午戦争で清朝の敗戦がすでに決定的になったことに乗じ、釣魚島およびその付属島嶼を窃取し、沖縄県の管轄下に編入した。同年4月、日本は不平等な「馬関条約(下関条約)」の締結により、清朝朝廷に「台湾全島およびすべての付属島嶼」を日本に割譲することを迫った。1900年、日本政府は釣魚島およびその付属島嶼を「尖閣諸島」に改名した。
◇日米による勝手な引渡しと受け入れとわが方の抗議声明
1951年9月8日、日本とアメリカは「サンフランシスコ講和条約」を一方的に締結し、北緯29度以南の南西諸島などの島嶼をアメリカを唯一の施政者とする信託統治下に置いた。1953年12月、アメリカの信託統治下にあった琉球当局は公告を出し、釣魚島およびその付属島嶼を明確にその管轄下に組み込んだ。
1951年9月18日、周恩来総理兼外交部長は中国政府を代表して「サンフランシスコ講和条約には中華人民共和国が準備、起草、調印に参加していないため、不法且つ無効であり、断じて承認できない」との声明を厳かに発表した。
1971年6月17日、日本とアメリカは「沖縄返還協定」に調印し、アメリカは1972年5月15日に琉球諸島などの諸島の施政権を日本に返還することにした。釣魚島及びその付属島嶼も「返還地域」に組み入れられた。調印の同日に、アメリカ国務省の報道官は「沖縄の施政権返還は、『尖閣諸島』の問題にいかなる影響ももたらすものではない」と表明した。
中国外交部は1971年12月30日に声明を発表し、「米日両国が沖縄返還協定の中で、わが国の釣魚島などの島嶼を「返還地域」に組み入れたことは、まったく不法なことであり、これは中国の領土主権に対する公然たる侵害であり、中国人民は絶対に容認することはできない」と重ねて表明した。
◇日本側による「島購入」の問題
2012年4月、日本の極右政客である石原慎太郎東京都知事は、釣魚島の「購入」企みを明らかにし、全国に向けて寄付を呼びかけた。7月、日本政府はいわゆる「国有化」プランを明らかにした。
中国は度重ねて日本側に対し厳正な交渉を申し入れ、釣魚島とその付属島嶼は古来より中国の固有の領土であり、中国にはこれについて争うことのできない主権を持ち、中国側は日本側が中国の神聖なる領土を売買をすることに断固反対すると表明した。日本側の釣魚島およびその付属島嶼に対するいかなる一方的な行動も不法であり、無効であり、これは中華人民共和国の釣魚島などの島嶼に対する領土主権をいささかに変えられるものではないと強調した。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2012年9月10日