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japanese.china.org.cn | 02. 03. 2014 |
日本の芸者は外から見ると神秘的にみえる。芸者は日本に昔からある職業で、17世紀の東京と大阪が発祥の地で、最初の芸者は全員男性で妓楼や娯楽施設で伝統的な太鼓の演奏や、歌などで生計を立てていた。18世紀中ごろ、芸者の職業はだんだん女性に取って代わられ、今に至るまで踏襲されてきた。
芸者は遊女ではない
芸者は日本では芸術を披露する女性で、客の飲食を接待する以外は、ほとんどは宴会で踊り、音楽、楽器などを披露して興を添える。彼女たちの仕事は男性の夢である、楽しみ、ロマンチック、独占欲などを叶えることだ。
一般的に、芸者を呼ぶ顧客は上層社会の財産も権威もある男性だ。彼らは高価な割烹やお茶屋で、商談するときに芸者を伴うことを好む。芸者は酒を注いだり、料理を出したり、雰囲気を盛り上げたりする。これで少なくとも1000ドルの費用が必要だ。
芸者の化粧は非常に研究されている。濃い化粧に葉特別な順序があって、化粧品も伝統的な原料が主に使用されている。最も目を引くのは、芸者が液状の白い顔料で顔、首を塗っているところだが、これで美しく飾られた人形のようにみえるのだ。
たとえば、お稽古の内容の一つに熱い豆腐を食べるときに、絶対声を出してはならない、また口紅に触れてもいけない。お稽古の厳しさが伺われる。16歳ごろ、正式に芸者になれるが、初めて芸者になる者は「舞妓」(舞子)と呼ばれて、後に正式に「芸妓」になる。
芸者の衣装は非常に華麗な和服で、生地、作り、質、装飾がすべて上等で、値段も高い。一般的に50万円以上で、また100万円のものもある。京都の芸者の衣装はさらに有名で、飄逸な「だらりの」と呼ばれる帯は、とても重くて着付けるときに非常に力が必要だ。よく「男衆」(役者芸者などの身の回りの世話をする男)が手助けする。
今も依然として、一部の女性はロマンチックな幻想や伝統芸術が好きで芸者の業界にはいりたいというが、昔の芸者は一生の職業で、母から受け継がなければならなかった。第二次世界大戦の前、大部分の芸者は生計のために仕方なくてこの職業に従事していた。
日本の歴史において、芸者業はかつて非常に盛況だった。京都は集中している地域で、昔は多くの御茶屋が林立しており、数万人の芸者がいたが、第二次世界大戦の後の不景気、それから経済が回復した後のしばらくのうちに、会社の接待や観光業が好転したため、芸者は一時また隆盛を迎えていた。
今京都の芸者はわずか200人しかいなくなった。彼女たちはこの都市の神秘的なシンボルとして存在している。しかし、芸者という仕事の衰退はすでに議論をまたない事実になっている。
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