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安倍晋三首相は先ほど、1995年の「侵略戦争の発動と隣国への抑圧」の罪に関する謝罪の強調を回避することを表明した。これは遺憾ではあるが、予想外のことではない。英インデペンデント紙が伝えた。
これは民意にもとる決定だ。世論調査によると、多くの日本国民はアジアでの過去の行いについて、国家が謝罪を行うべきだと考えている。しかし安倍首相と同じような考えもを持つ人もいる。彼らはその傲慢なナショナリズムによって盲目的になっており、これほど長年が経過してもこの反省が依然として適切であることを知らないのかもしれない。
第二次大戦中、連合軍の約8万人がシンガポールで日本軍の捕虜となり、ジャワ島の収容所に移された。筆者の父は、日本軍によってジャワ島で拘束された捕虜で、驚くべき虐待を受けた。父は最も恐ろしい苦しみを経験した。父は真っ昼間に太陽の下で縛られたが、コップ一杯の水も与えられなかった。また頻繁に殴られ、麻酔なしで手術を受けさせられることも頻繁にあった。一部の捕虜は、無理やり大量の水を飲まされ縛られてから、その姿に喜んだ日本兵に腹部を踏まれた話をした。
これらの収容所を解放した米軍は、地獄絵図を目にした。彼らを迎えたのは、数千人の骨と皮だけになった男性たちだった。多くの戦犯は英国に帰国してからも、正常な生活に適応できず死亡した。生き残った人(筆者の父など)の多くは、心に傷を負ったままだった。
父はキリスト教の信仰を失い、人類全体に対する信頼を失った。父は帰国後、深刻なうつ病にかかり、恐ろしい悪夢を見た。これに母は恐怖を覚え、家庭に深刻な暗い影を落とした。しかし父は自分がかつて見た恐ろしい出来事を語りたがらなかった。
極東の戦争は忘れることのできない戦争と称されることが多いが、長年が経過してもこれについて謝罪する日本人は現れなかった。一部の日本人は今日に至っても、日本の戦時中の暴行に関する記述を嘘や単なる誇張と信じている。
日本はついに謝罪したが、父にとっては余りにも遅すぎた。父はその謝罪の一年前にこの世を去った。捕虜にされ虐待された人々は、永遠に忘れられるべきではない。日本は歴史を見据え、謝罪を続けるべきだ。父がまだこの世にいたならば、そう思ったことだろう。