米マイクロソフトの共同創業者で経営者のポール・アレン氏はこのほどSNSを通じ、第二次大戦で撃沈された「戦艦武蔵」の船体を、フィリピン中部シブヤン海の海底で発見したことを発表した。
3月4日付産経新聞によると、東京の公益財団法人「水交会」は、武蔵の船体発見はこれまで聞いたことがないとした。
アレン氏がSNSに投稿した情報によると、武蔵の船隊はシブヤン海の水深約1000メートルの海底で、同氏の潜水調査機によって発見された。アレン氏はSNSで、船首とみられる写真、漢字が刻まれたバルブの2枚の写真を掲載した。
戦艦武蔵は旧日本海軍が第二次大戦中に建造した戦艦大和の2番艦で、1938年3月29日起工、1940年11月1日進水、1942年8月5日竣工。武蔵の船名は東海道の「武蔵国」にちなむ。武蔵は建造中に、司令部やブリッジの改良を行い、性能面で大和に並んだ。
武蔵は1943年2月11日、ドック修理に入った姉妹艦・大和に代わり、連合艦隊に編入された。大和と武蔵が所属する第2艦隊は1944年6月に第1機動艦隊に編入され、空母を護衛するためマリアナ沖海戦に参戦した。
栗田健男海軍中将は1944年10月、武蔵を含む第2艦隊を率いて、ボルネオ島ブルネイ湾からレイテ湾海戦に向かい出港し、レイテ湾の連合軍揚陸艦部隊に攻撃を仕掛けようとした。武蔵は1944年10月24日、「捷号作戦」を遂行中に米軍と武力衝突し、爆弾と魚雷による攻撃を受けた。武蔵は19発の魚雷と17発の爆弾を被弾し、1021人の日本兵と共に太平洋に沈没した。