「8年の戦火は盧溝橋より始まり、一枚の降伏文書が芷江にもたらされた」中国人民抗日戦争勝利70周年を目前に控えた4月17日、湖南省芷江トン族自治県の中国人民抗日戦争勝利受降記念館は、日本軍が芷江で降伏した当時の多くのカラー写真を初公開した。これらの写真は、米フライング・タイガースのジョセフ氏が撮影したもの。
これらの写真は歴史の重みを感じさせる。日本軍降伏代表団が到着後、白旗をさした車に乗って移動するシーン、米軍へ投降する日本軍を報じる外国語の新聞や、抗日勝利を祝う芷江全域のシーン等が主な内容で、中国人が勝利を迎え、祝い、見守った歴史が分かる。
中国人民抗日戦争勝利受降記念館の呉建宏館長は新華社の記者に対して、「これらの貴重なカラー写真を見ると、日本軍降伏代表団が国家の形式により初めて白旗をさし、湖南省芷江で中国人に無条件降伏したことが分かる。これは歴史の証人だ」と述べた。
湖南省芷江トン族自治県の中国人民抗日戦争勝利受降記念館は、中国人が中国を侵略した日本軍の降伏を受け入れた場所だ。中国を侵略した100万人の日本軍の降伏代表者である今井武夫ら一行は、1945年8月21日に岡村寧次の命令に従い、芷江で中国の軍民に降伏した。さらに日本軍の中国戦区における兵力分布図を渡し、降伏の詳細な規定が記された覚書に署名した。これは歴史上、「芷江受降」と呼ばれる出来事だ。
89歳のジョセフ氏は、「芷江は日本の降伏を受け入れた地である。これらの写真は歴史が起きた場所、降伏を受け入れた中国の歴史ある名都・芷江に戻されるべきだ」と語った。ジョセフ氏は芷江に、当時の中国の抗戦を物語る223枚の歴史写真、芷江の風景を収めた108枚の写真を寄贈した。そのうち32枚は、日本が芷江で中国人に降伏する歴史ある光景を記録している。
呉館長は、「これらの写真が世界初公開され、中国の軍民が血まみれで奮戦し、抗日戦争で一致団結し、共に抗戦の勝利を手にしたことが証明された」と話した。
呉館長は、「ジョセフ氏は当時、マサチューセッツ工科大学の学生で、徴兵により学業を中断した。ジョセフ氏は第二次大戦中、駐中国米軍の軍官だった。ジョセフ氏は第二次大戦後に帰国し、大学の学業を終えた。ジョセフ氏夫妻は マサチューセッツ州ボストンで暮らしており、中国の発展に関心を寄せている」と述べた。