中国遠征軍がビルマに向け出発。中国第二歴史档案館提供。
ビルマ(現在のミャンマー)は中国の雲南省と国境を接しており、かつてはイギリスの植民地だった。ビルマと雲南省を結ぶビルマ公路は、戦時中の重要な国際ルートで、多くの物資がこの道路を経由して中国の抗戦の後方に送られた。日本は太平洋戦争の発動前、この重要な戦略的ルートを遮断し、中国の抗戦の後方を脅かそうとした。
日本軍は1942年1月にビルマに上陸し、ヤンゴンに攻め込んだ。イギリスは2月、中国に対して、ビルマの作戦に軍隊を派遣するよう要請した。日本軍は3月8日にヤンゴンを占領し、イギリス軍が敗退した。日本軍は3月20日にトングーを猛攻撃し、イギリス軍は危険極まりない状況となった。日本軍が兵力、装備とも有利で制空権を有する中、中国は困難を克服し、優勢な部隊を派遣して遠征軍を編成し、日本軍と12日間戦い、敵5000人余りを殲滅し、トングーのイギリス軍の撤退を援護した。日本軍は次に北部のイェナンジョンに攻め込み、イギリス軍の主力を包囲した。中国の遠征軍は救援に駆けつけ、捕虜にされていたイギリス軍の7000人余り、米国人宣教師や記者など500人余りの救出に成功した。
中国遠征軍によるビルマ作戦は半年の間に1500キロ余りを転戦し、何度も日本軍を打ち負かし、イギリス軍に適時かつ効果的な援助を行った。特にトングーの防衛戦やイェナンジョンの窮状を打開する作戦では、日本軍に太平洋戦争の開戦以来受けたことのない激しい抵抗に遭わせ、重大な代償を払わせた。これらの卓越した戦例は、西側の軍隊の中国軍に対する差別や偏見を変え、中国軍の戦闘力と戦闘精神は世界の賛同を得た。
中国遠征軍によるビルマ作戦は、中国が世界反ファシズム同盟に加盟し、世界の反ファシズム戦争のために貢献した象徴的な戦役だった。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2015年6月17日