「平型関大戦突撃連」の所属部隊は、戦術演習中に兵士の渡河訓練を実施。
八路軍第115師は1937年9月25日、敵を軽んじ油断していた日本軍の弱点を突き、平型関の有利な地形を利用し、日本軍の精鋭部隊である第5師団第21旅団の1000人以上を待ち伏せ、包囲した。
突撃隊の685団2営5連は、日本軍と生死をかけた戦いを繰り広げた。戦闘が始まると、5連の兵士は連長指導員に率いられ敵の中に突撃し、激しい白兵戦を展開した。排長が犠牲になれば班長が代わりになり、班長が犠牲になれば戦士が代わりになった。全連隊の160数人が30数人になっても、粘り強く敵と戦った。6時間以上の血を浴びる奮戦を経て、5連は100人以上の敵を殺害し、20数台の車両を焼き払い、突撃任務に成功した。連隊は戦闘後、343旅によって「平型関大戦突撃連」という栄えある称号を獲得した。
烈士の犠牲の精神に励まされ、「平型関大戦突撃連」は8年間の抗戦において勇敢に敵を殺し、輝かしい戦果を手にした。343旅から「軍政双勝連」、八路軍東進抗日縦隊から「守ること泰山のごとし、攻めること猛虎のごとし」という栄えある称号を獲得した。解放戦争、朝鮮戦争中に、連隊は所属部隊に従い南北で戦い、民族の独立と新中国の防衛で輝かしい戦功を手にした。
連隊は平和な時代に、国防建設、軍事演習、森の消火、震災後の救助活動などの重大任務を遂行し、集団一等功を7回、二等功を7回、三等功を18回獲得した。全軍・部隊の中で栄えある伝統を発揚し、力強い連隊を建設する旗印になった。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2015年8月7日