中国人が日本に行き炊飯器を買い漁る中、85歳の日本の老人は51年使用した鍋を持って中国に「罪滅ぼし」にやって来た。「飯炊き仙人」と呼ばれる彼は、自分は「まだトップレベルに達していない」と思っており、死ぬまでご飯を炊き続ける考えである。彼は日本で唯一、そして最後の「飯炊き仙人」である。
2016年5月25日、85歳の村嶋孟さんは再び中国に足を踏み入れた。後継ぎが見つからず日本の店を閉め、彼には気にかけることは何もない。戦争中の飢餓によりご飯の炊き方を学び、戦争の罪滅ぼしとして炊き方を伝授するために中国を訪れた彼は、人生を一回りしたと言える。
今年1月、村嶋さんは招きに応じて北京を訪れ、飯炊きのコツを紹介して好評を得た。その後、彼は3年かけて中国各地のコメの産地を周り良質のコメを探し、飯炊きのコツを伝授した。
この決断の背後には「罪滅ぼし」という単純な感情が隠されている。今年1月のイベント前、彼は招へい側に「盧溝橋にある中国抗日戦争記念館を見学したい」と申し出た。「心の準備はしていたが、写真の中の参列な光景を見たとき、何とも言えないショックと無念さを感じ、涙をこらえることができなかった」。彼はこの時に日本軍が中国で犯した罪を償う決心をした。「東北地方に行き、自分の手で東北のご飯を炊いて周りたい。残りの人生、東北のコメでもっと良い銀シャリを炊き、自分のご飯で東北の農民の収入が少しでも増えれば幸せ」と話す。
村嶋さんは日本の店を4月26日に閉め、多くの人に惜しまれた。彼の名前は日本では誰もが知っていると言え、閉店した大阪の「大衆食堂」は常に満席になるほどの賑わいだった。彼は日本のコメ文化と料理の伝統を守り、日本の「職人精神」の代表する「国宝級」の大師だとされている。
村嶋さんは5月30日から6月3日にかけて「東北コメ探し」の旅をし、中国の良質のコメ産地である遼寧省盤錦市と黒竜江省牡丹江市寧安市を訪れた。どこに行っても彼は日本での習慣を続け、毎日鍋でご飯を炊いた。