自分の目に映った日本・日本人との出会いをウィーチャット(微信)によって広めた。また、許飛氏は「日本人は今の中国をあまり理解していない」と感じていた。そこで次の機会には日本人と一緒に中国を周遊してみようと思っていた。つまり、中国を外の世界の人に見せることであった。許飛氏は会社の日本人の幹部にこのことを相談した。この日本人は彼の構想に同意して、京都大学の自分の後輩を紹介した。つまり、落語家の入船亭游京であった。
游京氏はいつもニュース等で中国の反日感情について見聞きしていたので、最初は中国行きにはあまり積極的ではなかった。その上、長時間高座を離れることをも心配した。しかし、彼は心の中でやはり「人と変わったことをしてやろう」という強い念願があった。そこで、この計画に加わったわけだ。
この旅行が終わった後、游京氏は中国に対する見方ついて、「見方が変わった」と述べた。スマートフォンを使いこなし、キャッシュレス生活の広範な普及などの現象に対して、游京氏は、「中国は驚くべきスピードで進歩している」との印象をもった。