日本人落語家の入船亭遊京さんは今年2月中旬から、中国の友人である許飛さんと「人倫大同、平和友好」をテーマに80日間にわたる片道切符の旅に出た。彼らは今回の旅で中国各地の風景を味わうと共に、その旅行記が多くのネットユーザーの注目を集めることになった。「人民網」の取材に対し許飛さんと遊京さんは、「今回の旅で100カ所ほど訪れましたが、様々な業界の300人あまりの人々と深くお話ができ、大きな収穫になりました」と話す。
旅の始まり:旅を通じて両国民の相互理解を促したい
許飛さんは2016年2月15日から5月4日まで、80日間にわたる片道の一人旅を日本で敢行した。旅のテーマはやはり「人倫大同、平和友好」だった。この日本旅では、経済、文化芸術、社会生活、民俗、政治、戦争と平和、在日中国人など様々なことを学んだ。旅を通じて感じたのは、中国のことをよく理解する人がいる一方で、多くの人が中国の現状を理解していないことだった。多くの人の認識が十年前、二十年前にとどまっており、しかもマイナス面の情報が多かった。日本と中国は長い交流の歴史がある。中国への理解が少ない、あるいは誤解があることを、彼は残念に思った。このとき彼は、「中国でも80日間の旅をして、日本人に今の中国を伝えよう」と思うようになった。
許飛さんによれば今回の中国の旅では、中国各地を旅することを通じ、より多くの日本人に真実の中国がどんなものかを見せると同時に、普通の日本人が見た中国がどんなものかを中国の同胞にも伝えたいと思った。みんなで一緒に考えることで、お互いを理解し合えればと考えるようになった。
その後、同じ会社の同僚から京都大学時代の後輩を紹介された。彼こそ落語家の入船亭遊京さんだった。遊京さんもその話に興味を持ち、参加を決めた。なぜなら遊京さんにとって「落語家として視野を広げること」はとても重要だと考えていたからだ。許飛さんも、遊京さんが全身で中国の本当の姿を伝えることで、より多くの日本人に中国社会や中国人の心が伝わると考えた。
旅のルート:80日間で100カ所以上 高速鉄道と鉄道ネットワークが活躍
旅のルートを考える際、かつてNHKで放映された関口知宏さんの140日間にわたる鉄道旅の番組を参考にした。旅行計画書は7月末から12月末、つまり半年近い時間をかけて作った。完成するまでに15回の修正が行われた。この旅には日中協会や、遊京さんのファン、そして中日両国の様々な人々の支援を得た。
彼らは旅先を「自然の景色、歴史、経済、文化芸術(工芸、絵画、少数民族、漫才とコント、哲学、伝説)、近代中国、信仰、中日関係」という7大テーマに分類すると共に、30の省、自治区、直轄市において2つの代表的な場所、計60カ所に決めた。実際に実行してみると、彼らが訪れた場所は60カ所にとどまらず、100カ所以上に達した。
旅の印象:急速に変化・発展する都市 浸透するキャッシュレス社会
旅をするなかで遊京さんが強く印象に残ったのは、高速鉄道の車窓から見た美しい風景だ。中国への認識を新たにしたものについて話題が及ぶと、「中国の発展の速さは驚くべきものでした」と遊京さんは答える。道も清潔で、誰もが公共衛生意識や環境保全意識を持ち、しかも情熱的だったことも付け加える。また、各地域の美食やスナックも美味しかったという。なかでも遊京さんが最も驚いたことは、各地でスマホによる手軽なキャッシュレス生活が普及していることだった。
この旅で遊京さんは、広州、昆明など5つの地域で落語の公演を行った。うち2カ所は青島の中国海洋大学と昆明の雲南師範大学で行われた。言葉の問題から、落語の面白さを伝えられないのではないかと心配したが、学生たちの理解力は非常に高く、彼の落語に素早く反応し、大きな反響を得た。遊京さんはそのことにも驚いた。
許飛さんによると、旅先では各界300人以上の人々と深く交流でき、日本および歴史問題に対する認識もますます理性的になっていることを実感した。二人は5メートルの長さの平和友好の旗を作ったが、そこには旅の途次で出会った182人の署名や励ましの言葉が書かれることになった。最後、この旗は南京大虐殺紀念館に贈呈された。
取材の最後に許飛さんは、より多くの中日両国の人々が国外に行けるようになり、謙虚で平和な心で相手に対峙し、お互いの国を大切にしながら、両国のいい所を学ぶようになってほしいと述べる。「手を携えて長所を伸ばし、短所を補い合えれば、未来はもっとよくなるでしょう」。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2017年9月12日