1944年、ミズーリ州ウォレンズバーグで飛行訓練する、DC-3輸送機編隊
某米軍基地で1945年、第二次大戦中の日本の零式輸送機(L2D)が駐機されていた。零式輸送機は1942−45年の間に486機生産された。昭和飛行機がその大半を生産したが、中島飛行機は開戦当初、昭和飛行機の生産能力の不足を補うため約70機生産した。日本海軍の陸上輸送と移動にはこの機種しかなかったため、戦争により多くが破壊された。日本が降伏した時には、38機しか残されていなかった。
外観を見ると、零式輸送機は米国のDC-3輸送機に非常に似ている。日本は当初、ダグラス社が組み立てたDC-3を改良し、同機を生産した。1945年8月21日午後4時、日本軍の零式輸送機1機は中国空軍のP-51戦闘機6機に護送され、中国に降伏するため芷江に向かう日本の代表者を輸送した。抗日戦争が、こうして正式に終了した。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2017年9月14日