福岡県生まれの中国残留孤児の水崎秀子さん(中国名:王玉蘭)が1月6日晩7時頃、長期生活していた陝西省丹鳳県竹林関鎮雷家洞村で死去した。享年89歳。
水崎秀子さんの生活状況をよく知る竹林関鎮雷家政婦の職員は「澎湃新聞」の記者に対し、水崎秀子さんの親族が家に霊安室を作り弔問したことを明かした。
「澎湃新聞」の報道によると、水崎秀子さんは1929年に福岡県の漁民の家庭に生まれ、一人っ子だった。1942年、13歳だった水崎秀子さんは中国の長春市に送られ、「偽満州国」で商売をするおばに育てられた。中国名の王玉蘭で生活するようになってから両親とは一度も会っておらず、両親がいつ亡くなったのかも知らなかった。
おばの家で生活して数年が経った17歳の時、紹介されて国民党営長の宗開国氏と結婚。結婚当時、宗開国氏は仲の良かった友人を通して外食し、結婚指輪を贈った。
結婚して半年後、宗開国氏は戦争に行った。戦争には家族を連れて行かなかったため夫に置いていかれ、それ以後、夫からの連絡はなかったという。
彼女は独り身になり、夫の帰りを待つことなく、紹介されて兵士の雷国順氏と結婚。1949年、雷国順氏は王玉蘭さんを実家の陝西省に連れ帰った。
雷国順氏と生活して1年後に2人は離婚した。その後、村の劉女史の紹介で1つ年上の村民の宋治福氏と知り合った。1976年に宋治福氏が病死。王玉蘭さんは丹鳳県白李湾の李明堂家に嫁いだ。
生活が安定し、2002年に彼女は家族に会うために日本に帰る申請をしたが、思いがけないことに王玉蘭という名前は他人に使用されていた。日本の『毎日新聞』によると、水崎秀子を名乗る者が身分証明書と印鑑を偽造し、1995年に6人の孫を連れて日本に渡っていた。
2005年、日本の厚生労働省は陝西省の王玉蘭さんの家に人員を派遣し、DNA鑑定などを行い、王玉蘭さんと水崎秀子さんが同一人物であることを確認した。
2006年4月、60年以上ぶりに王玉蘭さんは夫の李明堂氏と日本に帰り、いとこと面会。77歳の王玉蘭さんは日本語を忘れ、通訳を介して会話した。2週間ほど日本に滞在し、王玉蘭さんは夫とともに陝西省に戻ることを選択した。
2015年、夫の李明堂が死去し、王玉蘭さんは息子夫婦に支えられて生活した。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2018年1月9日