かつて19歳の周恩来氏は天津南開中学卒業後の1917年秋から日本での留学を始め、東京 中野にある華洲園の農家の家で暮らしていた。中日国交正常化が回復した1972年の調印式で、周総理は「中野は大きく変わっただろう。私はかつて、そこに住んでいた」と日本の記者に語ったことがある。
1995年、創価学会の代表は天津を訪れ、丹念に作られた「周恩来総理の日本留学時の住まいー東京中野華洲園模型」を周恩来氏青年時代天津革命活動記念館(元南開中学記念館)に寄贈した。同模型は後に「周恩来 鄧穎超記念館」に保管された。2017年、天津社会科学院は記念館文化保護部協力の下、3Dプリント技術で、同模型の等身大レプリカの制作に成功した。レプリカには中日友好の象徴と伝承を担う願いが込められている。
東京を訪問中の中華日本学会、中国社会科学院日本研究所、天津社会科学院、北京大学や復旦大学など、中国の主要な日本研究機構の責任者が贈呈式に出席した。
「中国国際放送局」より 2018年9月11日