中日両国>
japanese.china.org.cn |11. 12. 2018

嘆きの壁、南京大虐殺の犠牲者26人の名前が追加

タグ: 嘆きの壁 南京大虐殺


“哭墙”再次延长 新增26个南京大屠杀遇难者姓名-新华网

(社会)(1)“哭墙”再次延长 新增26个南京大屠杀遇难者姓名


 南京大虐殺の犠牲者遺族の佘文彬さん(前)が10日、犠牲者名簿壁に追加された名前に掛けられた幕を下ろした。(新華社記者・孫参撮影)


 佘培庚、張華亮、劉茂清、劉茂源――侵華日軍南京大屠殺遭難同胞紀念館(南京大虐殺紀念館)の「嘆きの壁」がさらに延長された。新たに整理し確認された犠牲者26人の名前が刻まれた。壁にはすでに南京大虐殺の犠牲者1万664人の名前が刻まれている。


 記念館の南面にある犠牲者名簿壁は、「嘆きの壁」と呼ばれている。1995年に設置された当初に刻まれていた名前は3000人分で、日本軍に虐殺された30万人の同胞を象徴していた。その後の史料の考証、研究の掘り下げにより、名前が何度も新たに刻まれていった。


“哭墙”再次延长 新增26个南京大屠杀遇难者姓名-新华网

(社会)(2)“哭墙”再次延长 新增26个南京大屠杀遇难者姓名


 南京大虐殺の犠牲者遺族の佘文彬さん(前)が10日、名前が新たに刻まれた犠牲者名簿壁の前で黙祷を捧げた。(新華社記者・孫参撮影)


 「佘培庚は私の父だ」新たに名前が刻まれた犠牲者の遺族、佘文彬さんはその名を指差しながら、父の白黒写真を取り出し記者にこう話した。「父が日本兵に連れ去られた当時、私はまだ7歳だった。当時の記憶はやや曖昧で、扉の隙間から父が連れ去られるのを目にした。父は二度と帰ってこなかった。人の話によると、川に突き落とされ溺死したという」


 佘さんの娘婿の湯征さんは「義父の経験を知っていたが、家庭内の事だと感じていた。記念館の遺族向けの登録通知を目にしてから、記念館で登録すべきと気づいた。これは私たち一家だけの記憶ではない」と述べた。


 戦乱の時代で遺骨が残っていないため、遺族にとって「嘆きの壁」に刻まれた名前は、家族を祀る唯一の拠り所となっている。

“哭墙”再次延长 新增26个南京大屠杀遇难者姓名-新华网

(社会)(3)“哭墙”再次延长 新增26个南京大屠杀遇难者姓名

 南京大虐殺の犠牲者遺族の佘文彬さん(前)が10日、名前が新たに刻まれた犠牲者名簿壁の前で深々と頭を下げた。(新華社記者・孫参撮影)


 生存者、夏淑琴さんも同日、家族に付き添われ「嘆きの壁」の前で黙祷を捧げた。ボランティアの協力を受け、夏さんは筆を使い壁に刻まれた7人の家族の名前をなぞった。1937年12月13日、彼女の一家9人のうち7人が日本軍に殺害された。当時8歳だった夏さんは刀で3回斬られたが、気を失い一命をとりとめた。


 夏さんは名前をなぞりながら近くのボランティアに、「私は字が読めないが、家族の名前の書き方を覚えている」と述べた。


 記念館の関係者は、「これらの名前の出処は複雑で、戦後初期の南京市抗戦損失調査委員会、南京大虐殺案敵人罪行調査委員会の各種史料、それから新中国成立以降の各時期に集められた生存者の証言、犠牲者遺族から提供された名簿が含まれる。今日も一部の名前を確認中で、確認が終わりしだい壁に刻んでいく」と話した。


 歴史の忘却は許されない。南京大虐殺の研究と調査の掘り下げに伴い、「嘆きの壁」はさらに延長される。



「中国網日本語版(チャイナネット)」2018年12月11日