中国のSF長編小説『三体』の日本語版は、昨年夏に発売されるや13万冊の売り上げを記録した。続編を待ちわびるファンの期待に応えるように、今年の6月18日には3部作の第2部『三体Ⅱ 黒暗森林』(以下、『三体Ⅱ』)の日本語版が発売され、わずか1週間でアマゾンのSF小説ランキングと書店大手・紀伊國屋書店の外国文学ランキングで1位に輝いた。版元の早川書房によると、6月末までの『三体Ⅱ』販売数は15万冊に届く勢いだという。
『三体Ⅱ』発売後、筆者は書店を回ってみたが、多くの店の店頭やウインドーには宣伝ポスターが貼られ、入り口から近い書架や平積み台には1作目の『三体』と共に購買意欲を誘うディスプレイがされていた。『三体』シリーズの売り上げに掛ける各書店の期待が見て取れる。
三体シリーズ著者の劉慈欣氏が昨年10月に東方書店を訪れた際に書いた色紙を手に『三体Ⅱ』の好調な売れ行きを語る山田真史社長(写真・王朝陽/人民中国)
中国小説への入門書に
『三体』シリーズの爆発的売り上げを最も実感しているのは、中国関連書籍を長年にわたり出版・販売してきた東方書店と内山書店だろう。東方書店の山田真史社長は「昨年7月の『三体』日本語版の発売後は中国語の原書を買い求める読者が多く、原書版の売り上げが月間売上ランキングのトップテンに入りました。現代中国の小説の原書がこんなに売れるのは、とても珍しいことです」と振り返る。内山書店の内山深社長も、「一気読みしたいとセット買いするお客さんも少なくありません」と勢いを語る。
『三体』ブームは原書の売り上げアップのみならず、現代中国のヒット小説の売り上げにも貢献した。東方書店と内山書店はその流れを読み、中国のベストセラー小説専門コーナーを設けた。一連の現象について山田社長は、『三体』シリーズは日本の読者と出版業界の中国文学への需要度に変化をもたらしたと分析する。
まずは読者の変化だ。山田社長は「『三体』の読者は中国の現代小説だからという理由ではなく、優れた現代SF小説だから買っています。これは純文学への興味から中国文学を買い続けてきた、従来の読者層の小さな枠組みを超えた現象です。今後、『三体』読者はこれをきっかけに中国の他の小説にも興味を持ってくれることでしょう」と自らの見解を語ってくれた。
次は日本の出版業界の変化だ。日本の読書好きは保守的な傾向にあり、中国の書籍に限らず翻訳小説の市場はまだ大きいとは言えない。
しかし『三体』の第1部が成功したことで、これが変わる可能性も出てきた。中国の文学作品市場の潜在力を目の当たりにしたことで、中国のSFや推理小説の翻訳出版を検討し始める出版社も少なくない。山田社長によると、早川書房はすでに多くの中国のベストセラー作品の版権を立て続けに購入しているという。8月5日には、中国でテレビドラマ化して話題となった周浩暉の推理小説『死亡通知書 暗黒者』(訳 : 稲村文吾)がハヤカワ・ミステリから出版された。
売れ行き好調を見越し、店内の目立つ場所に平積みする書店も少なくない(写真・王朝陽/人民中国)
発売前日の6月17日、アマゾンのSF・ホラー・ファンタジー部門で『三体Ⅱ』上下巻と電子版がトップ3を独占した
中国SFから世界への啓示
『三体』第1部の人気を見た内山書店の内山社長は、第2部の売れ行きにも十分な確信を持っていたため、いち早く早川書房から見本を取り寄せ、真っ先に書評を書いた。
その書評で内山社長は、「本作は現実社会にとっての将来への手引きが満載だ。SF小説ではあるけれど『参考書』でもあると思った」と書いており、今年世界を襲った新型コロナウイルス感染症の流行の「参考書」として本作を考えた時、より意義のある作品になると考えている。『三体Ⅱ』のテーマの一つは、強大な敵に対して人類がどれだけ一致団結して立ち向かえるかだが、作中の人類は迫りくる三体人の艦隊に抗うための団結ができず、バラバラな方向を向いてしまう。現実社会においても、共に立ち向かうべき敵である新型コロナウイルスに対し、人類は団結して協力することができていない。それどころかスケープゴートを見つけ、特効薬やワクチンの先陣争いに腐心しているありさまだ。
『三体』シリーズ訳者の大森望氏も『三体Ⅱ』のあとがきで、「翻訳作業の後半は、新型コロナウイルスともろにぶつかり、テレビやネットで報じられる国内外の終末SFじみた光景が小説の内容と重なって、フィクションと現実の境目が曖昧になる気分を味わった」と書いている。
第2部の世界観は暗いが、そこには希望も込められている。絶望の中の希望は、内山社長に最も深い感動を与えたようだ。「第2部では人類がさまざまな制約の中で依然テクノロジーを発展させ、見えない敵との頭脳戦を繰り広げます。人類は完全に三体人に負けたわけではなく、一筋の光も残されています。現実社会も同じです。コロナの流行は三体人と同じように人類に危機と混乱をもたらしましたが、AIなどの新技術を発達させました。これは新しい世界への飛躍のチャンスなのかもしれません」と現実と照らし合わせて分析する。
SF小説の真骨頂は、人類が存亡の危機に直面した際、社会と世界にどのような変化が起こり、われわれはどのように変わり、絶望の中に希望を見いだすことができるのかという、壮大な「思考の実験」にあると言えるだろう。コロナ流行下で発売された『三体Ⅱ』は、日本の読者に中国文学の再発見を促すだけでなく、現実と未来への思いを巡らすためのきっかけにもなるはずだ。
来日時に内山書店を訪ねた劉慈欣氏と内山深社長(写真提供・内山書店)
「人民中国インターネット版」より 2020年9月21日