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japanese.china.org.cn |20. 08. 2021

在日ウイグル族青年が語る新疆

タグ: 在日ウイグル族青年

   パハルデイン・パルチさん(25)は新疆ウイグル自治区(以下新疆)の省都ウルムチ(烏魯木斉)市で生まれ育ち、今は日本で働くウイグル族の青年だ。故郷から遠く離れた東京で、彼はどのような生活を送っているのだろうか。「新疆」「ウイグル族」がしばしば国際世論の俎上に載る今、パルチさんの生活に変わりはないのだろうか。


   ひとり異郷で過ごす故郷の祭日は、一層家族が懐かしく思えることだろう。5月13日、ウイグル族の伝統行事である肉孜節(断食明け)の日に東京支局が取材を行った。


 


  「ウイグル族は国外と連絡を取ることができない」というデマを打ち消すため、4月29日のオンライン講演会でパルチさんはオンラインで家族と会場をつないだ。現在、新疆の治安は安定しており、新疆の分裂や独立を図ろうとする勢力がパルチさんの家族に報復措置を取る心配もない。5、6年前には考えられなかった試みだ

 

来日4年の元留学生


   パハルデイン・パルチさんは来日してすでに4年がたつ。多くの中国の「90後」(1990年代生まれ)同様、パルチさんも小さい頃から日本のアニメや映画を見て育った。「一番好きなのは『犬夜叉』。ハマっていた頃は登場人物の分析を書き留めたりもしていました。日本のホラー映画も大好きですね。小さい頃は近所の子と一緒に『呪怨』を見ました。そうした文化的な影響があったからか、私は日本語がとても好きなんです。私にとって日本語は、きれいでおしゃれなイメージがあります。また、ウイグル語と日本語は同じ膠着語に分類されるので、ウイグル族の私にとっては学習しやすいという利点があります。そんな経緯で、大学は北京語言大学の日本語科を受験しました」と日本との縁を語った。


   北京語言大学の日本語科は日本の学校と提携しており、学生は中国で2年間日本語を学んだのち日本に2年留学しても、卒業証明書と学位証明書を取得することができる。大学2年生の時に日本に短期訪問する機会を得たことが、日本留学を決めたきっかけとなった。


  「2016年に中日学生交流団体フリーバード主催のイベントに参加し、京都で1週間の交流を行いました。昼間は日本の若者と一緒に企業訪問をして学び、夜は中日交流の促進について討論を行うというものです。この1週間で得た京都の美食や礼儀正しい人々への印象がとても良かったので、日本に留学したいという思いが芽生えました」


   17年3月、パルチさんは留学生として改めて日本の土を踏んだ。「日本の大学は中国と違って自分で家を借りるため、個人的なつながりはあまり多くなく、学校が組織するサークルもあまり充実していないため、当初はやはり少し寂しい思いをしました。そこで友達を増やすために、東日本大震災の復興を支援するボランティア団体のブレーメンズに参加したり、英語サークルで他の国の留学生と交流したり、中日関係の講座に申し込んだりといろいろやりました。そこで出会った友人にはかなり助けてもらいましたが、特に茶道の先生はとても良くしてくれて、日本のマナーや習慣で分からないことがある時には、いつも先生に聞くようにしていました」と留学生活を振り返る。


 


友人のオートバイにまたがるパルチさん(手前)

 

日本人の誤解に危機感


   しかし中国に好感を持ちパルチさんと親しくしてくれた茶道の先生でも、メディアが報道するいわゆる「ウイグル問題」の影響で、新疆についていささか誤解をしていたようだ。


  「私は19年3月に日本の大学を卒業したあと、6月に一旦帰国して北京語言大学の卒業式に参加し、1週間後日本に戻りました。茶道の先生にすぐ連絡ができなかったため、先生は私が新疆に戻ったあと、日本で報道されているように国外との連絡を絶たれて二度と出国できなくなっているのだ、卒業の時に日本で会ったのが最後になってしまったと悲しんでいたようです。再会した時にはずいぶん文句を言われました」と語る。


   こうした日本の友人たちの誤解を語る時のパルチさんの表情には、無力感が漂う。「私の帰国や出国に何の問題もなかったのに、みんながそれを疑うのです。そうした雰囲気は18~19年くらいから始まりました。新たに知り合った日本の友人は、私がウイグル族だと知ると『大変ですね』と異口同音に言います。どうも西側のメディアによる中傷やねつ造は、すでに事実として受け止められているようですね。同情や関心は私への慰めや支えのつもりなのでしょうが、私はそうした声を聞くたびに疲労を感じます」


   特に今年に入ってからは、西側のメディアが新疆綿のプランテーションでの強制労働という報道をし始め、「ウイグル問題」の議論に火を付けた。


  「新疆綿関連の誤報を見た家族は、私と同じように怒っていました。以前新疆で暴力やテロが起こった時に、新疆は危険だという負の印象を世界に与え、ようやく解消したと思ったら今度は『抑圧』の犠牲者とされてしまったのです。こんなことでは、新疆を外から見る人が『新疆はひどいところだ』というイメージを無意識のうちに刷り込まれても仕方がありません。自分の故郷をこのように言われて腹が立ったり心を痛めたりしない人はいないはずです」と悲しみを語る。


    新疆を取り巻く国際世論が厳しさを増す今、パルチさんには使命感のようなものが生まれたようだ。「日本の友人はほとんどメディアの偏った報道しか見ておらず、新疆について深く知る機会もありませんから、私はより多くの人々に真の新疆を知ってもらい、新疆が直面する世論の姿を変えるために何かする必要があると思っています。日常生活では周りの友人に新疆についていろいろ話をしたりしていますが、それにも限界があります。ですから私は、加入している中日青年産学連合会が主催する講演会で講演してもらいたいとお話をいただいた時に、またとない機会だと思いお受けしました」


 

留学時に大学の研究グループの日本人と一緒に行った沖縄旅行の写真

 

オンライン講演で真実語る


   4月29日、「在日の新疆ウイグル族青年が故郷を語る」というタイトルでオンライン講演会が行われ、200人近くが視聴した。パルチさんは自身の経歴をはじめ、写真や動画を見せながら、新疆に関心がある日本の人々に向けて今の新疆とウイグル族家族や友人の日常生活を紹介した。「ウイグル族は国外と連絡を取り合えない」というデマを打ち消すために、オンラインで家族にも講演に参加してもらった。


  「家族とオンラインで連絡が取れるのも、新疆の治安が安定しているからです。もしこれが5、6年前なら、新疆を分裂させようとする勢力や『新疆独立』勢力が家族に報復措置を取るかもしれず、こうした試みもできなかったと思います。今後、右翼や新疆独立勢力によって私の仕事や生活が乱されるという、最悪の事態に対する心の準備はすでにできています。しかしここで萎縮してしまっては、私自身が後悔することになると思うのです」


   実際、講演が行われたオンライン会議室には、パルチさんの講演が終わるとすぐに匿名で誹謗中傷のコメントが多く寄せられ、中には危害を加えることをにおわすようなコメントも見受けられた。


  「しかしこうした行為は、新疆を中傷する噂を広めたのは自分だと露呈しているようなものです。私が話した事実が他人に知られれば、自分の主張が嘘だということが分かってしまいますからね」とパルチさんはあっけらかんと語る。


   パルチさんの目に映る故郷の新疆は、色とりどりで華やかだ。だから講演では友人の結婚式の動画を公開した。素人撮影できれいに撮れているものではなかったが、新疆独特の情熱的な雰囲気は十分に伝わった。新郎新婦の友人には少数民族も漢族もおり、色とりどりの服を着て歌い踊る様子が映されていた。「このカラフルな色彩はいかにも新疆です。BBCが取材する黒ずくめの姿の人など誰もいません。95%のウイグル族が家族と連絡を取れないという話が本当なら、こんな風に楽しく結婚式を祝うことなど当然できないでしょう?」

 

多民族共生の地


   パルチさんが新疆の日常について語る際のキーワードは「多民族」だ。「私のおばの友人には漢族も回族もいます。昨年新疆で新型コロナウイルス感染症が流行した時、外出自粛生活中のおばは友人と麻雀をしたりエアロビクスをして過ごし、その生活が終わった後も運動は続けたため、結構なダイエットになったと言っていました。おばの回族の友人は割と裕福なので、自発的に新疆南部のウイグル族貧困家庭の脱貧困に手を貸していました。新疆最大の特徴は多民族の共生で、全ての民族が日常生活の中で自然に溶け合っているため、無意識のうちにそういうことができるのでしょう」


   文化についても同様だとパルチさんは語る。「新疆にはウイグル語だけ、中国語とウイグル語の併用、中国語だけと3種類の学校があり、どの学校に通うかは自分で選択できます。私のいとこは併用の学校に通っていましたが、まずウイグル語だけの学校に通わせて母語の基礎をつけてから、中国語の学校に通わせるという選択をする親もいます。私は中国語の学校に通いましたが、家族との会話はウイグル語でした。私は小さい頃から、このような多元的文化の中で育ってきました」

「私は広東省の新疆ウイグル自治区支援高等学校教育プログラムに応募し、広東省の高校に入学しましたが、入学当初同級生に『新疆って全部砂漠なの?』と聞かれたことがあるのです。そこで私は、新疆には金色に輝く砂漠だけではなく、緑の草原や真っ白な雪山、青い水をたたえた湖もあると説明しました。新疆はとても大きい上に内陸部の経済発展は遅れがちだったため、国外のみならず中国の沿海地域の人々も新疆のことをあまりよく知らないのだろう、とその時に気付きました。自分が当たり前だと思っていることを他人も知っているとは限らないのです」


   この高校時代の経験から、日本の人々の新疆に対する誤解も十分理解できるとパルチさんは語る。「東京では本物のハラルフードはめったに見られないので、食べたいと思ったら自分で作るしかありませんから、日本に来てから料理の腕がめきめき上がりました。中国ではウイグル族の伝統祝日に合わせて休みになりますが、日本の職場では、断食のために休暇を取りたいと上司には言い出しにくいのです。多くの単一民族の国の人々は、新疆のように多民族が共生して、互いの文化を尊重し合うような情景を見たことがないのだと気付きました。私が声を上げることで、新疆では多民族の共生は至って普通なことなのだと日本の友人に知ってもらえればと思っています」


 


パルチさんの漢族の幼なじみは新疆の芸術学校の舞踊専攻科に合格。写真は各民族の学生がウイグル族の踊りを練習した後の記念撮影

 

いつか現地を案内したい


   しかし、講演の収穫は決して少なくなかったようだ。「4月29日の講演会のあと、カナダ在住の日本人からメッセージをもらいました。私の講演がとても印象深かったこと、将来機会があれば新疆に旅行したいとのことでした。こうしたメッセージをもらうととても元気付けられます。また、中国問題を研究する大学教授から連絡をもらい、いずれ一緒にテレビ番組に出演し、話をもっと広く伝えられるプラットフォームで真の新疆について紹介してほしいとも言われました」。将来の計画について聞くと、パルチさんは笑いながら「私の講演を聞いた後、少しでも新疆に対する偏見を払拭し、メディアで見る新疆が本当の新疆なのかと考えるようになる人がいさえすれば、私の話は価値あるものになります。ですから悪意あるメッセージなど怖くはありません。私はこうした活動を続け、新疆をより良くするために自分の力を尽くしたいと思っています」と決心を語った。


   来日4年目のパルチさんは日本の生活になじむとともに、家族が集まる祭日を迎えるたびに故郷への思いが募るが、19年から始まった新型コロナの流行は中日両国間の人的往来に大きな障害となり、パルチさんもずっと帰国ができないでいる。「ウィーチャットやビデオ通話で家族と連絡をとってはいますが、やはり会いたい。コロナが落ち着いたら、帰国して家族と一緒に中国のあちこちを車で回りたい。その時には日本の友達にも新疆に来てもらい、美しい私の故郷や優しい人々を自分の目で見てもらいたい」。そう話すパルチさんの目は生き生きと輝いていた。

 

新疆にある、中国最大の内陸淡水湖のボステン湖とアシ原(cnsphoto)