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japanese.china.org.cn |22. 12. 2021

希望もたらす中日間の友情 時空超える魯迅『藤野先生』

タグ: 中日
人民中国  |  2021-12-22

中国近代文学の父・魯迅の生誕140周年を記念し、中国駐新潟総領事館は10月30日、魯迅と恩師・藤野厳九郎をテーマとする中日オンライン交流会を開催した。人民中国雑誌社は後援団体として加わり、筆者はパネリストとして招待を受けて次のような発言を行った。

 

異彩を放った寛容と善意

魯迅の『藤野先生』を40年余り前に中学の授業で読んだ。印象深かったが、決して深く理解できたわけではなかった。何年か後、人民中国雑誌社で中日間の異文化交流事業に携わるようになり、魯迅の中国・世界認識の原点といえる経験やこの作品の歴史的意義と現実的意義をようやくいっそう深く認識するようになった。

十数年前、中日関係が困難に陥ったとき、上海にいた日本の友人がカレンダーを贈ってくれた。そこには魯迅と藤野のイラストが描かれていた。なるほど「惜別と握手」というテーマは両国の有識者の心にずっとつきまとっていたのかと気付かされた。そこで、この作品の歴史的意義と現実的意義を考え始めた。

 

日本のカレンダーに描かれた魯迅と藤野厳九郎

1904年、周樹人という留学生が仙台医学専門学校に入学した。当時、ちょうど日露戦争が勃発し、そこに巻き込まれて殺りくされる中国人がいた。もともと医学を学ぶ夢を抱いて日本に行った彼は、講義中に上映された戦地のスライドに震撼させられた。それは中国人がロシア側のスパイと見なされて処刑され、それを多くの中国人が無表情に傍観している場面だった。翻って周りの日本人学生を見ると、誰もが万歳を叫んでいた。彼はこのショックにより、体が丈夫なだけで精神がまひした国民はどうしようもなく、医学で中国人の体を丈夫にするよりも、中国人の精神を改造し、啓蒙と健全な人格育成を進めることが第一だと突然悟った。病気を治療する志から国を治療する志への転換は、後日の彼の思想的基盤を固めた。

弱国から来た留学生として、周樹人は学校内で、排外的愛国主義に燃えた日本人学生の冷淡な視線と中傷を嫌というほど受けた。このため、真剣さ、慎み深さ、寛容、善意を備えた藤野は周樹人の目には自然と異彩を放って見え、信頼できる人物となった。裏に「惜別 藤野 謹呈 周君」と書かれた藤野の肖像写真はいつも周樹人=魯迅の手元に置かれ、最後までなくすことはなかった。この信頼と友情は20年余りの発酵を経て、ついに不滅の作品になった。

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