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劉4兄弟の希望集団創業史
発信時間: 2008-10-26 | チャイナネット


劉永好

 
 
 改革開放の初期、劉永好、劉永言、劉永行、劉永美の4兄弟は、常人にはまねのできない勇気を奮い起こして公務員の職を辞し、自分たちで事業を興した。

 ▽劉兄弟の最初の事業

 何事をなすにも最初の一歩が難しい。劉兄弟が最初に始めた養鶏事業は、危うく失敗するところだった。当時、四川省資陽県のある養鶏場から種鶏10万羽の注文が入った。劉兄弟は卵を買い入れ、孵化してヒヨコにし、まず2万羽を引き渡した。ところがヒヨコは輸送中に半分が死に、さらに残りの半分が火事で焼け死に、養鶏場は経営はたんし、劉兄弟は代金を回収することができなかった。残りの8万羽はどうなっただろうか。劉兄弟は成都市に市が立つと聞くと、夜を徹して竹カゴを編んでヒヨコを詰め込み、連日早朝4時に家を出発。自転車を3時間走らせて家から20キロ以上も離れた市に行き、ラッパを吹き鳴らし、声をからしてヒヨコを売った。数千羽を売り終わると、疲れた身体をひきずるようにして自転車をこぎ、家に帰り着く頃には辺りは真っ暗になっていたという。こうして10数日間の市場通いで劉兄弟は数キロ痩せたが、8万羽のヒヨコはすべて売り払うことができた。年度決算では、10万元の利益が上がった。
 
▽ウズラ事業に成功

 売買には細かい計算が必要だ。劉永美は次のようにソロバンをはじいた。ニワトリの卵は1個0.1元だが、ウズラの卵なら1個で0.2元になる。ウズラは生後40日で卵を産めるようになり、一つがいが1年間に5回ヒナを生めば、約100元の利益になる。こうした計算の末、劉兄弟はウズラの飼育を重点的に始めることを決めた。

 当時、成都地区ではウズラブームがピークを過ぎた頃で、同村の人々は口々にウズラ事業をやめるよう忠告した。劉兄弟は技術力が低く、コストが高く、経営状態が悪い民間企業は必ず失敗すると確信し、現代の科学技術を利用してウズラの卵のコスト引き下げをはかることにした。そこで劉永美が中心となって専門家による科学研究チームが発足し、ほどなくして産卵率80%の優良なウズラを誕生させ、関連の飼料の開発にも成功するという成果を上げた。
 


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