文泉は、仏教がチベット地区でこれほど盛んになったのは決して政治的な必要性からでなく、それには歴史的原因があると言う。チベット仏教サキャンパ派のパスパラマは元代(1279~1368年)に国師と封ずられ、ダライ・ラマは数百年前に清代の順治皇帝(1644-1662年)が任じ、パンチェンラマはおよそ50年後の康熙年間(1662-1723年)に任じられた。その後、ダライ・ラマとパンチェンラマは互いに子弟となった。つまり、若いダライ・ラマは年長のパンチェンラマを師とし、若いパンチェンラマは年長のダライ・ラマを師とした。新中国の中央政府の毛沢東主席、周恩来総理はダライ・ラマ14世と接見した。数百年にわたり、庶民は宗教に対してずっとそう考えており、それはすでに伝統的な習俗となっている。
事実の説明で誤解解消
西側社会のチベットに対する誤解について、文泉はこの種の誤解はチベットに対する誤解にとどまらず、さらには中国の体制に対する誤解だ、と考えている。誤解はイデオロギーの違いから中国の体制を認めないことに由来する。チベット地区に対して誤解があるだけとするなら、実際状況を見に来てもらえば、問題は解決するだろうか。存在する問題は発展の過程で遭遇している問題であり、発展し続けていけば解決される。
誤って導かれた善良な人に対しては、事実を話すことができるだろう。しっかりと、客観的にチベットの現状を説明して、本当の姿を知ってもらう。違った世界観や価値観、違った意図や目的を抱いている人を、変えることは不可能だ。こうした2つの異なる戦線にいる者が、時にひどく対立することがあるのも、事実だ。ある意義から言えば、彼らは様々な不協和音をつくり出しているが、チベットは彼らが捉えている1つの現象にとどまらず、新疆や内蒙古、台湾なども中国を叱責する口実となる可能性がある。
異なる見方は異なる世界観に由来する。例えば、米国でも政府にあくまで反対し、銀行の国有化に反対する人がおり、彼らは政府の関与が多くなればそれだけ自由が制限されると考えているが、中国人は政府が管理すればそれだけ庶民は安心すると思っている。
文泉は欧州で招かれて講義した際、法的地位からチベットが中国の一部であり、それがすでに世界の共通認識になっていることを理解した。中国が識字率の向上や貧困撲滅、女性・児童の保護、国連の青年開発計画や千年開発計画などで収めた成果は世界をリードしており、こうした事実は世界がすでに認めているもので、疑いの余地はない。農業税の廃止など社会主義の新しい農村建設はチベットから始まったものだ。チベットについては、何かを無理に宣伝する必要はなく、事実とデータで客観的に説明し、異なる声にも耳を傾けるし、また他の報道を恐れる必要もなく、彼らも事実を認めることが大切だ。