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japanese.china.org.cn | 08. 10. 2013

タイタニック号で命拾いをした唯一の日本人

タグ: タイタニック,沈没,日本人,男性,生存者,女性

泰坦尼克号上获救的六个中国人和一个日本人

 

 恥知らずと罵られた半生

 

 豪華客船タイタニック号の沈没後、ある英国人乗客が手記にこう記していた。「一人の日本人男性が乱暴に他人を押しのけ、無理やり救命艇に乗った。」

 タイタニック号に乗り合わせていた唯一の日本人乗客である細野正文氏は、当時運よく救命艇に乗り込み命拾いしたものの、生涯「卑怯な生存者」という汚名を背負い続けた人物だ。

 細野氏は1870年生まれで、1912年当時日本鉄道院の主事を務めていた。露、英での研修を終え、英国から北米へと向かうタイタニック号に乗り合わせていた。

 4月14日、タイタニック号は氷山に衝突し、スミス船長は“Women and children first”(WCF)(女性と子供を優先せよ)との救命規則を宣言。翌15日1時40分、最後の救命艇が海に降ろされる。このとき細野氏は船員に撃ち落とされる危険を顧みずに女性と子どもでいっぱいの救命艇に女装でよじ登ったという。本来助かるべき女性一人を差し置いて自分が乗り込んだという説もある。こうして細野氏は力の弱い女性と子どもに混じって命拾いをした卑怯な男だと罵られることになった。

 細野氏は帰国後、高官職を免官され、平の鉄道事務員に降格。後に岩倉鉄道学校に転勤した。1939年に世間の冷たい視線を浴びる中で他界する。

 しかし、1941年にタイタニック号沈没事故にまつわる細野氏の手記が発見される。細野氏は世間から批判されるような行動を取っていなかったことが発覚し、氏の孫が祖父の名誉回復に向けた取り組みを始める。事故当時、細野氏が乗ったのは10号救命艇で、無理やり乗り込んできたと指摘した英国乗客の救命艇は13号であった。実は当時10号救命艇には二人分の空きがあり、上艇の順番を待っていた三等客室の乗客とともにその場にいた二等客室乗客の細野氏には優先上艇権があったのだ。1997年、細野氏の手記は米国のタイタニック号研究財団を検証を経て事実と証明された。

 1998年に日本のメディアが公開した細野氏の手記の一部には、当時救命艇の指揮員が「もう二人」と叫ぶ声がして、一等客室の男性が飛び込んだの続いて細野氏も飛び込んだとある。あの事故で多くの人が命を落としたため、生きて帰った細野氏は、その罪悪感から帰国後誰にも反駁することをしなかったのではないかと言われている。

 

「中国網日本語版(チャイナネット)」2013年10月8日

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