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japanese.china.org.cn |23. 01. 2018

村の郵便屋さん 険しい山道を行き30年

タグ: 郵便屋さん 険しい 山道

(图片故事)(1)天路·邮差·三十载


 1月17日、山西省平順県虹梯関郷で、数人の村民と会話する楊銀科さん(右)。小柄な体で重たい郵便小包を背負い、太行山の険しい道を進むのは大変なことである。山西省平順県虹梯関郷の太行山の奥地に、地元住民から「太行天路」と呼ばれる険しい山道がある。今年60歳の楊銀科さんは1987年からここを行き来し、計20万キロ移動して村民に郵便物、宅配物、新聞を届けている。杖と小包が楊銀科さんの装備である。早朝5時過ぎ、楊銀科さんは仏堂村の自宅を出発し、険しい「天路」を通って下山し、8時頃に麓の芣蘭岩村でその日の新聞、郵便物、宅配物を受け取り、仕分けして虹梯関郷の麓の各村に届ける。正午になると楊銀科さんは芣蘭岩村に戻って簡単な昼食を済ませ、また郵便物を持って山を登り、翌日に山の上の各村に郵便物を配達する。冬の太行山の道は雪に覆われ、注意しないとすぐに転倒する。楊銀科さんは小包を持って注意しながら山道を抜け、夜6時か7時にようやく帰宅する。この仕事を始めてから20年間、楊銀科さんは徒歩で配達していた。今はバイクがあるが、道路状況により辺鄙な村へは徒歩でしか行けない。30年あまり、楊銀科さんは山頂から麓まで、麓から山頂まで、数十個の小包を背負って歩き、靴を何足履きつぶしたかわからない。強風でも大雪でも、楊銀科さんは郵便物、宅配物、新聞を速やかに村民に配達する。自分の仕事について、楊銀科さんは「仕事をするからには、速やかかつ正確に郵便物を配達する。退職するときに後継者が現れてくれたら安心」と話している。


「中国網日本語版(チャイナネット)」 2018年1月23日


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