中国の「ライト兄弟」 愛好家からシミュレーター開発へ

中国の「ライト兄弟」 愛好家からシミュレーター開発へ。航空科普館で飛行シミュレーションを体験した68歳の趙向陽さんは満足げに話した…

タグ:中国 飛行機 航空

発信時間:2018-12-17 13:35:10 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

   


   「飛行機には乗ったことしかなかったが、ついに操縦してしまった」。ハルビン市の航空科普館で飛行シミュレーションを体験した68歳の趙向陽さんは満足げに話した。このお年寄りの夢を叶えた「草の根ゲーマー」イノベーションチームは、ハルビン萊特兄弟科技開発有限公司。

 

 最初の回路基板を開発してから飛行シミュレーターを自主開発するまで、興味のある人たちからなるチームは企業に発展し、各地から集まった職業も違う飛行愛好家の劉忠亮さん、葛俊さん、付強さん、周志園さんはわずか数年で共通の「飛行の夢」を叶えた。

 

ゲーム好きから「飛行の夢」へ

 

 1987年生まれの劉忠亮さんは幼い頃から飛行機が大好きだったが、山東省の農村で育った彼にとって空を飛ぶことははるか遠い夢だった。蘇州市の電子工場に就職し、飛行シミュレーションゲームで彼は空に少し近づけたような気がした。

 

 「ゲームだけでは物足りなかった」と話す劉忠亮さんは2009年に中国飛行シミュレーション掲示板を開設し、自分と同じ趣味を持つ人たちを集めた。

 

 ある日、1人の「飛行仲間」が掲示板で回路基板の写真を公開した。回路基板のスイッチ、ボタンの代わりにマウスを使って飛行の高度、速度、方向を調節できるというものだった。これを見た劉忠亮さんは、「十分なのハードウェアがあれば飛行シミュレーターを作れるのではないか」と希望を抱いた。

 

 劉忠亮さんは上海や鄭州などの「飛行仲間」とハードウェア開発チームを結成してすぐに取り掛かった。模擬操縦室をつくるため、当時のチームメンバーは鄭州市で内装デザインの仕事をする周志園さんの自宅下の地下室を借り、各自で開発したパーツを持ち寄って組み立て、溶接した。

 

 チームメンバーで鄭州市のゲーム会社でディスパッチを担当する付強さんは、「これらの努力だけでは足りないとすぐに気づいた。操縦室は巨大なシステムプログラムで、時間と精力のほかに資金も絶えず投入する必要がある。この大胆な構想は一度崩れかけた」と話した。


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