中国侵略日本軍南京大虐殺遇難同胞記念館で、参観者に解説する吉川淳子さん(3月7日)
展示ホールの中央に、照明にてらされた「犠牲者30万人」と書かれたモニュメントがあり、犠牲者を偲んでいる。ここは犠牲者の写真壁で、死去した生存者の白黒写真を掲示している。61歳の吉川淳子さんは中国侵略日本軍南京大虐殺遇難同胞記念館のホールに立ち流暢な中国語で解説し、歴史の記憶を呼び起こしているようである。
大阪府で生まれた吉川淳子さんは、小学6年性の時に組み立てたラジオで中国語に触れた。夜10時過ぎ、電波を通して彼女は「謝謝」や「你好」を覚えた。中国語に興味を持った彼女は、大学で中国語の授業を受けた。吉川淳子さんは1978年と1997年に中国を訪れ、武漢二七紀念館に行き、馬王堆や白帝城も見学した。2009年
、3回目の中国訪問で北京化工大学に留学し、2011年に北京中医薬大学の学医になった。北京中医薬大学の本科と修士課程を修了後、南京を訪問。「昨年7月に南京を訪れ、インターネットで中国侵略日本軍南京大虐殺遇難同胞記念館のボランティア募集の情報を見て応募した」と彼女は話す。中国語に長け、日本で近代史を専攻した吉川さんは記念館で主に史料の翻訳を担当し、解説をすることもある。
吉川さんは、「中日両国の架け橋になりたい。日本の一般人として、日本人、特に若者に南京大虐殺の歴史を伝えたい」と語った。
性格が明るい吉川さんは中国人の客に親切なところが好きで、中国は故郷のようだと話す。買い物、おしゃべり、太極拳、広場舞など、吉川さんは南京の生活に完全に溶け込み、恋愛もし、「中国に一生いる」と話している。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2019年3月26日