社会>
japanese.china.org.cn |14. 01. 2020

「缸魚」年画 職人の春節の思い出と期待

タグ: 年画 職人


「缸魚」は天津の楊柳青年画の一種で、「生きた化石」とも称される。

 

   昔は水道がない家庭が多く、かめに水を溜め、どの家庭も「缸魚」年画をかめの横の壁に貼っていた。絵には水中にいる金の鱗の赤い鯉が描かれ、水をすくうと波で揺らめき、非常に美しい。また、魚は「余」と同じ音であるため「吉祥」を意味し、風習として今に伝わっている。

 

  「青緑の底に、頭と尾の大きい赤い鯉が漂う。緑の葉とピンクの蓮が互いを引き立たせる。連(蓮)年有余(魚)の4文字が大きく書かれている。その様子はめでたく、活発で、人に好まれるまぬけな雰囲気で、特に目を引く」。中国民間文芸家協会の馮驥名誉会長は以前、文章『探訪缸魚』の中で王学勤氏の「缸魚」を生き生きと表現した。

 

    今年85歳の王学勤氏によると、現在は各家庭が楊柳青年画を使用するが、昔は精巧な作品で宮廷や富裕者だけに贈られ、一般家庭が貼る年画は粗いものだった。「缸魚」は粗い作品の代表で、庶民の年画だった。

 

    天津市西青区にある王学勤氏の自宅に入ると、真っ黒な台に筆やブラシなどの工具、大小100種以上の顔料が置かれている。黒の木の型が壁側に積まれ、4世代にわたり使用されたものもあり、ひびがワイヤーで「縫合」されている。

 

    王学勤氏はたこがたくさんできた手でブラシを持ち、木板に墨汁を塗り、専用の工具で紙に刷る。何度も繰り返すと、「缸魚」の輪郭が紙に浮かび上がる。1匹の魚を描くのに15の工程を踏み、3回繰り返して色をつける。

 

   「この蓮の葉は4色で、外側から葉の筋にかけて色がグラデーションになっている」と王学勤氏は紹介した。

 

     10代の頃、王学勤氏は父親とともに「缸魚」を売って生計を立てていた。以前は旧暦12月27日か28日になると、天津市内に行って年画を売り歩き、1日で2~3元稼いで正月に餃子を食べていたという。王学勤氏、当時はどの家庭にも水がめがあり、この年画を貼っていたと話す。

 

    その後、彼は旧暦12月15日になると自転車で市場に行き、冬じゅう描いた「缸魚」を天津市内の市場で販売した。よい時は1年で5000枚以上売れた。

 

    王学勤氏は今でも楊柳青年画の最も伝統ある「缸魚」を描き続けている。2011年、彼は天津西青区無形文化遺産プロジェクト楊柳青木板年画の代表伝承人に選ばれた。昨年、彼は新たに6作品を作り、「缸魚」を改良した。

 

  「最盛期は楊柳青鎮南部の36村で制作され、現在は生活環境が改善され、水がめは水道水になったが、この工芸を途絶えさせてはいけない」と王学勤氏は話す。

 

    王学勤氏は、この工芸を学びたい人は少ないが、数人の弟子がいることに安堵しているという。現在、娘がこの技法を受け継ぎ、新たな芸術要素を取り入れようと模索している。

 

    王学勤氏は、「缸魚」を生涯描き続け、現在は生活が改善され、かめを使用しなくなったが、この「缸魚」はかめのための絵ではなく、幸福のための絵であり、これからも描き続けると話した。


 

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2020年1月14日


1   2   >