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japanese.china.org.cn |10. 09. 2024

唐詩に頻出する玉門関とは

タグ: 漢詩 玉門関
中国網日本語版  |  2024-09-10

7月17日に甘粛省敦煌市玉門関遺跡エリアで撮影された大方盤城(ドローンで撮影)。大方盤城は疏勒河に臨むようにして建設されたため、古くは河倉城と呼ばれ、糧秣の保存に用いられた。

玉門関遺跡は甘粛川西回廊の最西端に位置し、敦煌の市街地から北西に90キロ以上離れている。周辺の十数万平方キロメートルはゴビ砂漠と荒野。遺跡エリア全体は小方盤城を中心とし、東側は大方盤城で、西側は漢長城。

漢武帝の時代より、玉門関と陽関は主に軍事警戒及び通過管理の職能を担った。漢王朝の郡県管轄制の最西端に位置したことから、古代中国の重要な地、文化的象徴となった。玉門関と関連する唐詩は100首以上で、砂漠の辺境の壮大で美しい風景、出征する将兵の報国の大志、辺境を長年守る者の故郷を思う気持ちを描写している。

今日の玉門関は、人々が歴史と文化を感じ、ゴビ砂漠の風景を体験し、シルクロードの遺跡を尋ね求めるための目的地になっている。玉門関は2014年に「シルクロード:長安――天山回廊の交易路網」の重要構成遺産として世界遺産に登録された。

新華社記者・馬寧撮影

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