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第3章 宗教、人権、チベット、台湾
3-4問 現在、国際社会で「チベット問題」に熱中する人が大勢いるが、この問題はどのように出てきたのか。中国は終始「チベットは昔から中国領土の不可分の一部である」と言っているが、これを証明できる歴史的証拠があるか。

 答 実際に言うと、この世に「ワシントン問題」、「ニューヨーク問題」が存在していないように、「チベット問題」ももともと存在していない。いわゆる「チベット問題」の実質はここ100年近く以来、西側の帝国主義勢力がチベット地方の分裂主義者をもりたて、支持して、チベットを中国から分裂させようと企んでいる問題である。当今から言えば、アメリカと西側諸国がダライ集団を支持せず、ダライ集団が「チベット独立」あるいは形を変えたチベット独立を企むことを徹底的に放棄し、祖国を分裂させる活動を停止するならば、世界にいわゆる「チベット問題」が存在しなくなる。

チベットは昔から中国の主権下の領土であり、中国には歴代の中央政府がチベットで主権を行使した明確な文字の記載があるだけでなく、古くからの文化と血縁の密接な関係を証明する考古資料もある。

チベットは中国の南西部にある。同地に住んでいたチベット族の先民は西暦前から中原地区に住んでいた漢族と連係があった。その後、長い歳月を経て、チベット高原に分散していた数多くの部落が逐次統一して、現在のチベット族となった。13世紀中葉、チベットは正式に中国元代の版図に組み入れられた。西暦1268年、1287年、1334年、元朝の中央政府は3回もチベットに官吏を派遣して人口調査を行なったことがあり、チベット語の史書『漢蔵史集』にこの3回の調査に関する詳しい記載がある。その後は、中国が歴代王朝の盛衰と更迭を経験し、中央政権が何度も交代したにもかからわず、チベットはずっと中央政権が管轄し、独立国になったことが一度もなく、世界でもチベットを独立国として認めた国が一つもない。

1911年の秋、中国で辛亥革命が勃発し、270年近く中国を統治した清王朝が覆され、中華民国が樹立された。公布された最初の中華民国憲法もチベットは中華民国の領土の一部であると規定している。1949年の中華人民共和国成立後、中央人民政府はチベットの歴史と実状に基づいて、チベット平和解放の方針をとることを決定した。1951年5月23日、中央人民政府とチベット地方政府の代表はチベット平和解放の方法に関する取り決めに調印し、チベット各民族の人びとの賛成と擁護を得た。1954年、ダライラマは第1期全国人民代表大会常務委員会の副委員長に当選し、パンチェンラマは常務委員に当選した。1956年4月、ダライラマは西蔵自治区準備委員会の主任委員に就任した。1959年3月、チベットは反乱を平定し、民主改革を行なった。1965年9月、西蔵自治区が正式に成立した。

歴史が物語っているように、チベットの主権の帰属は疑いをさしはさむ余地がない。中国政府はチベットの事務に対し自らの明確な主張と政策があり、これは国際社会が周知している事実である。世界のいかなる国も自国の内部事務を処理する際、外国勢力がやたらに指図するのを許さない。これも国際法の基本的原則である。

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