毎年3月になるたびに、西側反中勢力は西蔵(チベット)自治区問題にかこつけた反中騒ぎを繰り広げる。今年も例外ではなく、米下院と欧州議会は先日相次いで西蔵(チベット)関連の提案を採択した。ダライ・ラマ(14世)に対して歯の浮くようなお世辞を言う一方、中国政府に対しては西蔵での人権保護状況を非難したうえ、西蔵の独自性を保護するよう要求する。
これらが荒唐無稽なのは、提案の発起人や支持者の圧倒的多数が西蔵に行ったことがなく、西蔵の歴史と現状に対して全く無知か、ごくわずかしか知らないということだ。さらに無茶苦茶なのは、彼らが根拠とする情報の多くが、事実に反する聞きかじりや、ダライ集団の悪意の宣伝に由来するということだ。
彼らの西蔵に対する認識の出所には大きく2つある。1つは色眼鏡をかけた西側メディアによる歪曲的報道だが、さらに目立つのはダライ本人、チベット青年会議、チベット女性協会などの偽りの宣伝に取材したものだ。欧米の反中メディアと反中政治屋は、社会主義制度や共産党政権への偏見から、中国中央政府や西蔵地方政府、および蔵学(チベット学)研究など学術機関による権威ある発表を全く採用・信用せず、むしろ、明白なダライの宣伝や西側メディアが報道する事実と多々異なる言葉の方を、根拠として引こうとする。その方がその反中・中国抑え込みの政治目的に合致するからであり、また、こうした政治ショーによってその知名度を高めることができるからだ。
たとえば先日のように、ダライが蔵族人民の生活は現在「この世の地獄」にあると言うと、反中メディア・政治屋は至宝を手にした如く大々的に宣伝し、西蔵に行ったことのない人や真相を知らない人を信じ込ませてしまう。実際のところ、西蔵に行ったことがあり、かつ偏見を抱いていない人なら誰しも、これがダライが西側の支持を獲得するために行っている、事実を顧みぬでっち上げであることを理解している。ダライが叛乱に失敗して国外に逃亡した後、西蔵人民はようやく真の「この世の地獄」から解放されたというのが事実なのだ。ダライが当時「長期不改・永遠不改」を維持しようとし、現在も保護の必要性を主張する「チベットの独自性」とは、まさしく、当時世界で最も野蛮で、最も残忍で、最も立ち後れた「この世の地獄」制度だったのであり、ダライ本人がこの制度の最高統治者にして総代表だったのである。
「事実は雄弁に勝る」という言葉は世界の誰もが認めている。ダライは一体、どのような人間なのか?まずは、彼の「小さな事」から見てみよう。1950年代初め、ダライ治下の西蔵政府の関係当局は、ダライの誕生日のために「湿腸1組、頭2つ、各種の血および人皮1枚」を供物として献じるよう部下に命じる文書を出したことがある。声を大にして何度も人道がどうのと唱える者が、このような「誕生日の供物」を前にして、なお何を言えるというのか?
だが、まさにこのような者が、現在では袈裟を羽織り、西側を渡り歩き、人民が主人公である今日の西蔵には人権がないと言い立てているのである。そして西側の一部メディアや政治屋は、反中・中国抑え込みの必要性から、嘘を暴かぬどころか、欺瞞性の強いこのいわゆる宗教者をなおさらに利用しようとするのである。
実際のところ、欧米の議会にいるこうした反中政治屋が犯している深刻な過ちは、彼らがダライの嘘を事実と見なして発言していることだけではない。ダライを西蔵人全体の代表として尊敬していることが、さらに荒唐無稽なのだ。実際には、1959年の逃亡前にダライが代表していたものは、西蔵人口の5%を占めるに過ぎない三大領主の利益だ。そして現在では、数多くない上層部逃亡蔵人、および蔵区内のひとつまみの分裂分子の代表に過ぎないのだ。このような逃亡農奴主を蔵人全体の代表としておだて上げることが、笑い話でなくして何なのか?西側の一部の政治屋は、安定し調和した民族の大家族の中で暮らす200万蔵族人民の平和への願いや生命・財産の権利を無視し、殴打・破壊・略奪・放火・殺人のひとつまみの刑事犯罪分子のいわゆる人権の保護を訴えている。西側のこうしたいわゆる民意の代表の了見が、いかに険悪であるかが分かるというものだ。米国が01年9月11日の同時多発テロの計画者を投獄できるのなら、なぜ中国が殴打・破壊・略奪・放火・殺人を行った者を犯罪者として裁いてはならぬのか?これは明らかにまた覇道を唱える米国の政治屋たちのダブル・スタンダードだ。「人民日報海外版」(望海楼)
「人民網日本語版」2009年3月18日