「笑顔なのは楽観的だから」
金さんは9歳の時、右足に悪性腫瘍が見つかり右足を切断した。しかし金さんは、意気消沈したりあきらめたりすることはなく、積極的にスポーツのトレーニングを始める。北京オリンピックの招致が成功した2001年7月13日、金さんは上海車いすフェンシングチームに入り、プロの選手になった。苦しい普段の練習や、けがによる苦しみも金さんは、「好きだからしかたがない」と軽く言う。
金さんは、「スポーツをする人の中には、自分にできることがあることを示したいための人もいるようだが、多くの人は心からスポーツが好きで、スポーツを夢を実現するためだと考えたり、体を回復させるためにスポーツをしている。私は車いすフェンシングチームと一体になった感じがとても楽しい」と話す。
この数来、金さんはチームメンバーと共に、数多くの世界クラスのメダルを手にした。パラリンピック開催まであと少し。すでに引退した金さんも、開会式のリハーサルに参加して、パラリンピックに心からの祝福を送った。
「パラリンピックを通じて、普通の人と障害者、国内外の障害者が交流してお互いに理解する場が築き上げられ、より多くの人が障害を持つ人たちを尊重し、大切するよう願っている」
「チャイナネット」2008年9月5日
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