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母親が苦労して育てた宇宙飛行士の翟志剛さん
発信時間: 2008-09-22 | チャイナネット




「もし『神舟7号』と縁がないなら、私は相変わらず努力しつづけます」と、かつて宇宙飛行のチャンスを2度も逃した翟志剛さんは自分の夢を語った。今回はとうとう「神舟7号」の正式の宇宙飛行士となり、これは彼が3回目の有人宇宙飛行の宇宙飛行士のメンバーに選ばれたのである。

母親が苦労して育て上げた宇宙飛行士



幼い頃、家庭の経済状況がよくなく、父親はずっと病気で寝込んでいたため、一家はすべて母親の賈桂芝さんがヒマワリのタネを売ることで支えてきた。中学から高校まで、翟志剛さんは毎日放課後に家に帰ってご飯を作り、そのあと、自転車で母親を町へ迎えに行き、更に母親を助けて1ナベのヒマワリのタネを炒め、かき込むようにご飯を食べ、急いで学校に戻って夜の自習に参加し、6年間に雨の日も、風の日もそうして過ごした。

空軍飛行学院が学校に将来のパイロットを募集しに来た時、翟志剛さんは喜んで申し込んだ。合格のニュースを聞いたその日、母親は翟志剛さんよりも喜び、「おや、私の末っ子もなかなか見所があるものね!」と賈桂芝さんはそう言いながら、隣人のところから20元のお金を借り、翟志剛さんのためにリュックサックを1つ買ったが、それにいっぱい詰め込むものはなかった。母親はなにも息子に持って行かせるものはないので、丁寧に1ナベのヒマワリのタネを炒め、ふっくらした大きなものを一粒一粒選び出してリュックサックに詰め、それでもリュックサックはそんなにふくらまず、母親はリュックサックを前にして黙々と涙を流した。

出発前の日に、母親は肌につけていた小さな包みの中から体温が残っている人民元5元を1枚取り出して力をこめて息子に渡した。翟志剛さんはボール製の小さな箱を母親に残していった。中味はすべて1銭、2銭、5銭の硬貨であり、高校の3年間に蓄えた小遣いであり、あわせて100元以上もあり、それを見て一家のものは涙を流し出した。翟志剛さんは空軍学院に入学した当初、毎月の手当は12元で、自分は2元しか手元に残さず、残りはすべて母親に送金した。

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