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中国の飲食業の30年間ー「あるものを食べる以外にない」から「何か食べたいと思えばそれがある」まで
発信時間: 2008-10-15 | チャイナネット

中国は人口の多い国であり、国民の衣食問題の解決はずっと為政者にとって何よりの大事であった。改革開放30年来、国民に最も真に感じさせたのは買い物かごと米袋に生じた変化である…

 

ひとテーブルの客席料理が1万元という「民間の物語り」

  1972年、アメリカ国家安全特別補佐官のキッシンジャー博士が数人の助手を連れて上海市に着き、中米国交樹立コミュニケの難問が杭州で解決されたばかりなので、博士は1万元を出し、国際飯店に頼んでひとテーブルの客席料理を作ってそれを祝った。その時、上海市のホテルの宴席の規格は大体平均ひとテーブル25-35元で、20元のものもあり、10人の男性が席を囲んでもおなかいっぱい食べることができた。1万元でひとテーブルの客席料理を作ることは、上海のコックさんの原材料利用レベルにとって確かにきわめて大きなチャレンジであった。しかし、頭が切れるコックさんたちはお客さんにひとテーブル1万元の中国料理を召し上がってもらった

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民間の資本でグルメ街を作る

 

80年代の上海

 1980年代に入ってから、市場経済が始動し始めた。飲食業は進出のバリアが比較的低く、従業員の技能に対する要求もあまり高くなく、必要な始動資金も多くはない業種であり、国有企業からレイオフされた人たちはこの業種を第一の選択として再就業を実現し、しかも豊かになる青写真をどうどう描いたのであった。上海市黄河路(大通り)の来天華というレストランの女店主の繆富珍さんは記者に、「私と主人はもともといずれもデパートの店員であったが、私たち2人が辞職してから内装を終えたばかりの結婚用の家屋でレストランを開業し、少しの経験もなかったのです。招いてきた料理人の寧さんも、なんのことはない料理の腕もだめで、初めてニワトリを煮る時にニワトリのもつを取り出さないままで煮る始末で、私は自ら彼に通常の料理の作り方を手ほどきしました。20余年過ぎたの今日、この寧さんは上海で家屋を買い、結婚し、子供をつくり、私の会社の技術総監となりました …

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グルメ流行のリード役

老克勒(粋なおじいさん)のイメージ
 

 時代の流行の発展・変化を顧みることは飲食業という開放的業種にとって非常に必要である。私たちはある人の物語から言い始めたい。陸徳逸さんは上海の街角ではオーソドックスな「老克勒(粋なおじいさん)」と言え、年じゅう背広姿で、真っ白いシャツの衿が目つき、革靴はぴかぴかに磨かれ、出かける際必ず香水を身につけていた。80歳以上の老人なのに、腰はピンと伸ばされている。「『文化大革命』の時、造反派のつるし上げを食ったあと家に戻っても、私は相変わらず『白斬鶏』(広東料理風のニワトリの料理法でつくったもの)を食べるのでした」と彼は記者に語った…

 

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「何かを食べたいと思えばそれがある」飲食市場には大きな将来性がある

 

「新天地」バー街
 

西洋料理の店

 

バイキングの店

 

高級レストランがずらり

 

 ホワイト・カラーの社交消費に大幅増の勢いが見え、こうした消費はビジネスの消費と違い、ホワイト・カラーの社交消費は主にそのおつき合い、コミュニケーション、交流などの必要を満たすことにある。世界ベスト500企業の多くはそのアジアまたは中国にある本部を上海市に設け、ほかでもなく上海市に数多くの国内外の優れた企業の本部が集まっているため、上海のホワイト・カラー層はすでに社会の主流消費層の1つとなった。現在、ホワイト・カラーの社交消費と関連のある飲食企業の上海における発展状況は非常にすばらしい…

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「チャイナネット」2008年10月15日

 

 
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