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旧チベットは「シャングリラ」だったか |
発信時間: 2009-01-21 | チャイナネット |
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「西蔵(チベット)100万人農奴解放記念日」の3月28日への設置を受け、チベットの民主改革という歴史的出来事が人々の注目を再び集めている。民主改革以前の旧チベットに対する人々の認識もいっそう深まり、旧チベットを「シャングリラ(理想郷)」のように描くのは間違いだということもはっきりしていくことだろう。 いわゆる「チベット問題」はこれまで長い間、海外の一部の人々によって不断に訴えられてきた。これらの人々は、チベットの人々が抑圧から解放されたことや、チベットの経済と社会が大きく発展したことには目を向けず、非常に立ち遅れていた旧チベットをロマンチックで自由な世界として描き、「シャングリラ」として美化している。海外の一部では、「旧チベットは清らかで美しく、解放の必要などなかった」という意見もある。 しかしチベット資料館が保存する史料には、民主改革以前のチベットの「十三法典」や「十六法典」が人々を三等九級に分け、法律面から地位の不平等を規定していたことがはっきりと記録されている。人口の90%を超える農奴らは人身権や自由を少しも持たず、「生来の卑賤者」「言葉が話せる畜生」として農奴主に扱われていた。最低限の生存権さえ保障されておらず、民主的権利などは問題外だった。 拉薩(ラサ)の町角では現在、初対面の人同士が「お名前はなんですか」と聞きあう姿が自然と見られる。だが封建農奴制時代の旧チベットでは、農奴同士が会ったときには「あなたはどこの家の農奴ですか」とあいさつするのが普通だった。旧チベットに「自由」があったとすれば、少数の農奴主が農奴に対して権力をふるう「自由」であり、大勢の農奴にとっては思いのままに売買・交換される「自由」にすぎなかった。旧チベットに「人権」があったとすれば、少数の農奴主が農奴に対して持つ生殺与奪の「権利」であり、大勢の農奴にとっては搾取・酷使される「権利」でしかなかった。「シャングリラ」と美化される旧チベットは、ごく少数の農奴主にとっては天国だったかもしれないが、大勢の農奴にとっては地獄だった。 欧州議会のチベット問題協調グループのトーマス・マン代表は、チベット解放記念日の設置について、「チベット人に対する最大の侮辱だ」という見方を示した。だが、ここで言われる「チベット人」とは誰を指すのだろうか。少なくとも、チベットの人口の90%を占めていた100万人規模の農奴や奴隷を指すものではないだろう。マン代表のこのような言い方こそ、かつて苦難を受けていたチベット人民に対する侮辱ではないだろうか。 チベットのかつての統治者は、旧チベットを夢のような「シャングリラ」として描き、チベットの「自由」や「人権」に対する関心を不断に示し、「本当の自治」や「中間路線」を主張しているが、その目的は明らかだろう。ドイツ共産党の週刊誌「Unsere Zeit」は、「統治期間中にはチベット人の尊厳と人権を踏みにじっていた人々が今になって、人権の擁護者という顔を見せている」という鋭い批判を掲載した。 今日の欧州が500年以上前の中世の欧州に逆戻りすることはできない。今日の米国が南北戦争以前の米国に戻ることもできない。今日のチベットも同様に、政教合一の封建農奴制の旧チベットに戻ることはできないのだ。 「人民網日本語版」2009年1月21日 |
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