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「中国不高興」が熱い議論を呼ぶのは? |
発信時間: 2009-04-20 | チャイナネット |
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先ごろ、1996年に出版された「中国可以説不(ノーと言える中国)」の続編ともいわれる本「中国不高興」(中国は不機嫌だ)が初版で販売数15万冊に達し、インターネットでもアクセス数が相次ぎ、内外メディアも次々と論評している。「不高興」は一種の文化的な“ラベル”ともなった。 同時に、これまでにない世界経済危機を背景に、国際社会の目は世界の東方へと向かい、中国式モデル、中国の責任、中国のイメージが熱い議論の的となっている。 中国の国際的な地位とイメージに今、どんな変化が起きているのか。中国は将来の国際的な枠組みの中でどんな役柄を演じるのか。中国は他者が宣伝するように、世界を主導する「英雄の国」になれるのか。 王逸舟氏は国際問題の専門家。中国社会科学院世界経済・政治研究所副所長、研究員を務める教授で、雑誌「世界経済と政治」の総編集長。「新華社」は先ごろ、王教授にインタービューした。 「やはり一種の声である」 ――このところ、「中国不高興」という本が非常に流行っているが、この本が伝えようとしている気持ちをどう見るか。 この本の筆者はよく知っている。記されている多くの観点には多少、非合理的なところがあるようだが、彼らが語る方法には敢えて同調もしないし、厳しく要求したり、厳しく責めたりする必要もない、と考えている。中国が発展し、成長するには、各種各様の声が必要だ。1つの本しかなく、しかもいずれも精彩を欠いた本であるなら、意味はない。多彩な生活には各種各様の声がなくてはならない。 ――中国の国力が高まるに伴い、人びとの意識も微妙に変化してきたようだが、国を愛する熱い気持ちをどう理にかなった形で表現すべきか。 国民の意識は確かに変わった。中国人は「歴史の悲しみ」と「弱国として意識」から抜け出し始めた、と論ずる人もいる。こうした言い方には一定の道理はあると思う。だが同時に、時には情緒的なものが多少、表れることもある。国を愛する熱い気持ちは奨励すべきだとはいえ、極端な方向に走ってはならない。 |
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