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japanese.china.org.cn | 05. 12. 2012

1942年、飢餓の中国 外国カメラマンの実録

タグ: 飢餓,1942,被災 1942饥饿中的中国 哀鸿遍野触目惊心(中日対訳)

 

1942年の中国は「飢餓」という言葉で描かれる時代だった。現在、中国で上映中の映画「1942」は、当時の歴史の真実を描いている。1942年から1943年にかけ、中国の河南省では非常に悲惨な大飢饉が発生、3000万人が被災し300万人が餓死した。

この写真集は1943年2月末から3月初まで、米紙「ニューヨーク・タイムズ」の記者Harrison Formanと、「タイム」の記者Theodore Harold Whiteが河南省の被災地を取材したときに撮影したものだ。

映画「1942」に出てくる「老東家」、「栓柱」は、芸術で加工された人物だが、3000万人の難民の真実の姿の縮図といえる。

映画に出てくる米国記者Theodore Harold Whiteは実在の歴史上の人物だ。彼は当時の災害を報道と回想録に記録した。たしかに人の心を揺り動かす苦難の歴史だ。ピュリッツアー賞を授賞したTheodore Harold Whiteはかつて、中国の河南で遭遇した状況を「無政府状態と秩序、生と死の真実の意味がわかった」といっている。

Theodore Harold Whiteの目とペンによって、われわれは1942年中国河南省で発生した災難が、映画で最初にいわれているような「食糧の問題」だけではないとわかる。

70年前、1942年の中国は、抗日戦争が最も激しい時代だった。抗日前線としての河南省は、1942年夏から1943年春まで連続して大規模な干害が発生し、夏秋、ほとんどの農産物にまったく収穫がなかった。その後、イナゴによる農作物被害もあり、凶作被害は全省の110の県に波及した。

 

 

1942,一个“饥饿”的中国。 正在热映的电影《一九四二》,讲述了一段真实的历史:在1942年到1943年之间,中国河南爆发了一场惨绝人寰的大饥荒,3000万人受灾,300万人死于饥饿。本图集照片是1943年2月底至3月初美国《纽约时报》记者福尔曼与《时代》周刊记者白修德在河南灾区实地采访时拍摄。

电影里的“老东家”、“栓柱”是艺术加工出的人物,却也是3000万难民的真实缩影。

电影里的美国记者白修德,却是一位真实的历史人物。他把那次灾难记录在他的报道和回忆录中,留下了震撼人心的一部苦难史。这位曾获得普利策奖的记者曾说,在中国河南的遭遇,让他“懂得了无政府状态和秩序、生与死的真实意义。”

通过白修德的眼睛和笔,我们可以看到1942年发生在河南这片土地上的灾难,绝不仅仅是电影开头所说的“吃的问题”。

70年前的中国,1942年,正是抗日战争最为艰苦卓绝的岁月。而作为抗日前线的河南省,在1942年夏到1943年春,连续发生大旱灾,夏秋两季大部绝收。大旱之后,又遇蝗灾,饥荒遍及全省110个县。

「中国網日本語版(チャイナネット)」  2012年12月5日

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