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japanese.china.org.cn | 19. 12. 2012 |
大阪の釜ヶ崎は都市の中にできたひとつの町で、日本最大の貧民街でもある。現地住民はほとんどが戦後日本の建設業界がよかった時代の労働者たちだ。
世界的な経済危機のあおりをうけ、仕事は急激に減り、ここの住民もさらに生活が苦しくなっている。なかには他の生活の道を求めて、他の街に商売に出たり賭博をしたりするもの、そしてそのままここで待つことを選ぶ人もいる。
帰る家がなく、貧困、健康悪化など、釜ヶ崎の貧しい住人の暮らしぶりは悪くなる一方だ。ここで活動している暴力団は60あまり、彼らは麻薬の売買、賭博、募金詐欺などをしのぎとしている。大阪市民はこの町に関して口を閉ざして多くを語らない。釜ヶ崎に通う米国人カメラマン・アンドリュー・ヒューストンは「釜ヶ崎の老人は暮らしが極めて苦しく、ほとんどの人は政府から背を向けられていると思っている。彼らは国の建設のために汗水たらして働いたのに、国は彼らを捨てた。釜ヶ崎のような貧民街は政府関係者から目を付けられ、日本の地図から抹殺されるのだ」と感想を述べる。
とはいうものの、釜ヶ崎にも典型的な日本の雰囲気は残っている。ふすまのある部屋に住む男性の靴はきちんと並べられ、毎晩、決まった時間に銭湯に出かける。落ちぶれたといっても、ここの貧しい住民たちにも日本社会の優雅さ、折り目正しさ、秩序があり、芯になっている価値観と生命力が感じられる。
カメラマンのマグダレーナ•ソローは「何度も日本を訪れて、その文化に非常に親しみを感じている。ホームレスがたくさん住んでいる大阪の貧民街のようなところがあると聞いて、自分の目で見て探求してみようと思った。ここで私が目にしたのは釜ヶ崎という町だけでなく、日本社会の弱者のたどった複雑な歴史だった。」という。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2012年12月19日
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