列車に乗らなかったり、苦労して探したりしなければ、燕山山脈の険しく高い峰々の中で青竜橋という小さい鉄道駅を見つけることは難しい。1000年の古道と100年の鉄道と変わらぬ交差点にある中国人の知恵を凝らした「人」字型の鉄道は、自分の未来の運命を考えるかのように長い歳月そこに静かにたたずんでいる。
もともと、京張鉄道(北京―張家口)沿線の小さい鉄道駅の1つに過ぎなかった青竜橋駅は、北京市延慶県内にある八達嶺長城の麓にあり、1908年に建設されたものである。今、この古い鉄道駅は旅客運搬業務を行なっていないが、京張鉄道のスイッチバックが設置されたため、延慶駅から北京北駅に向かう観光専用高速列車8台が毎日ここで折り返している。ここを通り過ぎる観光客はおびただしい数だが、鉄道駅の存在に気づいた人はわりと少ない。
しかし、近ごろの「春へ向かう列車」という写真集により、居庸関と八達嶺長城の辺りにあるこの小さい鉄道駅は大ヒットしている。胸をスーッとさせる香りが漂う花の海の中を白い高速列車「和諧号」がうねうねと走ってくるシーンを見ると、春めいた色彩を目にしたような幸福感が心から湧いてくる。青竜橋駅を訪れる多くの市民は、この建物が100年前の状態で残っていることに驚く。建物の右側には京張鉄道記念碑と「中国鉄道の父」であるセン天佑氏の塑像がそびえており、塑像の台座には「セン公天佑の像」という文字が彫られている。1982年にここに移されたセン天佑夫妻の遺骨が塑像の後ろに埋葬されている。
青竜橋駅で生まれ育った楊存信氏は、100年以上の歴史があるこの古い駅に言及すると、丸3日間話し続けられるほどその歴史に精通している。なんといっても、父親とともに2世代続いてこの駅を60年以上見守ってきたのである。