紀元前の稲の栽培と馴化は、中華文明の誕生と人口増に対して、極めて重要な力を発揮した。学界では現在「稲の栽培は長江中・下流域に起源する」という結論が、ほぼ共通認識になっている。
ところが稲作の対外伝播の時期とその過程については、疑問と意見の食い違いが残っている。科学的な手段による分析を経て、考古学者は陝西省渭南市東陽遺跡から出土した稲の残骸が、今から5800年以上前の人口栽培品種であることを明らかにした。これは稲栽培の起源及び伝播の研究に、新たな証拠をもたらした。