紀元前1450年、エジプトの有名なファラオ、ラムセス2世の残酷な統治から逃れるため、モーセはユダヤ人の祖先であるヘブライ人を率い、茫々たる砂漠を横断し紅海付近に到着し、エホバの助けにより紅海を渡った。蜜と乳が流れるカナンを訪れ、彼らの幸せな生活を始めた。そのため紅海とシナイ半島は世界に知られるようになった。
アレクサンドリアから紅海に移動するためには、サハラ砂漠を横断しなければならない。そこはどこを見ても尽きることなき砂塵で、サハラ砂漠の中にいると我を忘れてしまいそうになるほどだ。筆者はまだ車を使うことができたが、3000年以上前のモーセ王子には2本の足しかなかったことを考えると、思わず深く敬服してしまった。筆者は自分を騙すように、砂漠の奥には紅海があると絶えず言い聞かせた。
筆者は今でも尽きることなき砂漠で海を目にした時の喜びと驚きを覚えている。赤く黄色い砂の向こうに青々とした海が広がり、現実とは思えない美しさだった。片側は海、もう片側は火という砂漠の中を進むと、麻痺していたすべての神経が目覚め、眠っていた細胞が活力を取り戻した。そして今回の旅の目的地、フルガダにたどり着いた。
フルガダは元は小さな漁村で、エジプトが最も観光業を開放した都市になり、わずか20年で理想的なレジャーの聖地に早変わりした。このエジプト人が最も美しいと公認する都市では、ファラオ時代の「旧約聖書 出エジプト記」の影どころか、エジプトやその他の都市にあるイスラム文化の姿すら見て取れない。古代エジプトに関する情報は、土産店や海辺の観光客のTシャツにしか見ることができない。
しかしここでは観光客数が倍増している。7000年の文化を持つピラミッドやルクソールの観光客を抜くのも、時間の問題となっている。
紅海の紅とは水の色ではなく、ビーチを指している。確かに、この赤い色のビーチを目にして初めて、ここをサハラ砂漠と結びつけることができる。紅海は見渡す限り広がる砂漠の奥に現れるため、独特の風景を持つ。ビーチに立つと、美しさと日差しを表す形容詞のすべてを用いることができる。青い空と海、色鮮やかな建物、遊覧船と花、それからカラフルなビキニを着て日光浴を楽しむ人々を見ると、今が北半球の真冬であることを忘れるほどだ。
時おり飛行機が背後のヤシの木の上空を通過し、美しく飾られたラクダがビーチをゆっくり歩き、一年中咲き続ける花が耳元で揺れ、船が波を立て波紋を作る。このような大洋の小島でしか目にできない美しい風景を、アフリカ大陸のエジプトでも見ることができるとは思わなかったので、ここは恵まれすぎていると感じた。
モーセは紅海の向こうに美しいカナンを発見し、筆者は砂漠の奥に彩りあふれる色を目にした。どうやら筆者は運がいいようだ。