写真>新着写真>
japanese.china.org.cn |27. 09. 2018

横丁の「ネット人気月餅」

タグ: 月餅 ネット 人気 商品

 

寧波市奉化区恵政新村で5日、焼き上がったばかりの月餅の香りが、目立たぬ店舗から横丁に漂った。中秋節まであと20日あったが、店では買い物客が後を絶たなかった。食いしん坊が期待しながら集まり、月餅を手にし去っていく。顔には満足そうな笑みを浮かべていた。


「あと十数日もすれば、横丁まで列ができるだろう」店内で列に並び料金を支払う買い物客を見ながら、月餅の焼き上げを担当する毛信虎さんは振り返り、裏の部屋で黄色の月餅を裏返しにした。


奉化区で、毛家月餅は「ネット人気商品」だ。中秋節前に、素朴で飾り気がないが味は抜群の毛家月餅が、SNSで話題になった。


毎年、中秋節から2カ月以上前になると、毛信虎さんたち4人兄弟は各自の仕事を手放して集まる。80代の両親、毛一家の孫の世代、それから数十人の労働者の協力により、毎日数千箱の月餅を売る。中秋節を終えると別れ、自分たちの生活に戻る。


1968年生まれの毛信虎さんは15歳から、麻花や凍米糖などの点心の作り方を学び始めた。毛信虎さんと次男の毛信龍さんは農村供銷社のお菓子の供給を請け負い、改革開放の春風のなか人生初の資金を手にした。


より優れたお菓子を作るため、毛信虎さんは上海から料理人を学び技術を学んだ。彼は徐々に月餅を作るコツを把握し、ますます商売繁盛した。中秋節前の2カ月、一家そろって忙しく働き、毎日3000箱以上の月餅を打った。「当時は一箱6個で、1箱0.36元だった。本当に商売繁盛で、忙しい時は一日に3時間も眠れなかった」と昔を語る毛信虎さんは、誇らしい顔をしていた。


有名になり口コミが広がっても、毛信虎さんは満足しなかった。自分の独特なマークが入った月餅を作ろうと思い、さまざまな月餅の作り方を考えた。研鑽を重ね、6年間で独自の「椒油月餅」を開発した。華美な包装はないが、独特な味と新鮮な食感で、徐々に人気を集めていった。中には遠路はるばる上海や杭州などから車で訪れ、味わおうとする人もいた。目立たぬ横丁で作られているため、徐々に「横丁月餅」と呼ばれるようになり、奉化区で20年も語り継がれている。


毛信虎さんの月餅のレシピを60万元で買い取ろうとした人もいるが、即座に断られた。多くの人が弟子として師の技術を盗み、一定期間の学習後に密かに自分の店を開き、「横丁月餅」と称し客を集めようとした。同じレシピでも技術の細かな差があり、出来上がった月餅の味は大きく異なっていた。


「市場が大きいのだから、私の商売が奪われることを恐れない。しかし本当に月餅を美味しく作るには、数年間の苦しい修業が必要だ」毛信虎さんと家族はやむなく6年前に商標登録し、権利を守る旗印を掲げた。


毛家月餅のチームは若年化しており、「インターネット+」の新型マーケティングに適応している。毛信虎さんのおいの毛傑さんは毛家月餅と同年齢で、幼い頃から月餅づくりに興味を抱いていた。大学を卒業し3年働いた後、毛傑さんは職を辞し家族の商売に戻り、正式にお菓子づくりを学び始めた。毛一家の孫の世代の最年長者として、主に月餅の配合を担当している。地域が異なれば人々の味の好みも異なる。店内では10種類の味の月餅が提供されている。毛傑さんは毎日数百キロの餡を作らなければならない。


「奉化の人は椒油味が好きで、寧波市は匂い菫の味が好きな人が多い」と毛傑さんは話した。毛傑さんの従弟の毛勇さんは18歳で高校を卒業すると、店でお菓子作りを始めた。現在は小麦粉をこねる工程を担当している。


現在は個性的で平民的な月餅が市民から歓迎されている。「ネット人気月餅」が市民の目に入り、競争も日増しに激化している。毛傑さんは家族と別の月餅店を訪れ、購入し味わうことで長所を学び、自分の商品の質を管理している。「現在は食品衛生が最も注目されており、市場監督管理部門が時おり店を検査に来る。私たちは品質と衛生の管理者になる」毛傑さんは自信満々に語った。


都市の発展の需要により、毛家月餅店のある横丁が間もなく取り壊しとなり、多くの人に惜しまれている。毛傑さんは新しい店を探している。「時代がどのように変わろうとも、私たちの味はずっと変わらない。人々は子供の頃の記憶を呼び覚ませる」

1   2   3   4   5   6   7   8   9   10   11   12   13   14   15   >