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japanese.china.org.cn |06. 01. 2019

「地戯のお面」を作る職人たち 貴州省

タグ: 跳戯 お面 職員 経験者

「私たちの地戯は儺戯ではない。儺戯は厄除けだが、私たちのは神を敬い、家の安寧を守るものだ」


 跳戯とお面は貴州省安順市下苑村で200年以上の歴史を持つ。お面に手本はなく、職員は書物に描写されているイメージに基づき、自分の構想を作り直接彫刻する。この世にまったく同じお面は存在せず、経験者はお面を見れば誰が作ったか分かるほどだ。


 貴州省安順市周官村で15分後、地戯『五虎平西』が上演されようとしていた。高齢者がキセルを置き刀と槍を操り、40年前から慣れ親しんでいる曲目を演じる。あの頃、チームは数十人の規模だった。彼らを迎えたのは多くの人、興奮の眼差しだった。


 しかし今や上演中の屋敷に集まる客は数えるほどしかいない。多くの若者が出稼ぎに出ており、また若者がその情緒を聞いて理解できるとは限らない。周官村のすべての村人が、「私たちは朱元璋の南征でここに来た」ことを知っている。この600年の中を流れているのは、戦乱の威風堂々たる歴史、故郷に戻れない憂いだ。


 楊正経さんは28歳の頃から父に従い彫刻を学び始めた。当時使っていた道具は現在も残っている。彫刻刀のセットは20−30本で、最も小さいものは小指の爪ほどの大きさだ。安順市の村では1つの劇、1つの英雄物語しか上演されず、1つのお面しか使用されない。このお面は劇の魂だ。跳戯の靴は妻が作ったものでよく、小道具もその場で準備できるが、お面だけは専門的な彫刻家に作ってもらわなければならない。


 下苑村で現在、この仕事に従事しているのはたったの5人だ。彼は2人の息子に技術を継承させようと試みたが、次男は金にならないことを嫌い出稼ぎに出た。楊さんは「私は年を取り動けなくなった。健康状態が悪くなれば、彫刻を続けられなくなる」と常に懸念している。「お面は単価が低すぎ稼ぎにならない。子供たちは孫を養わなければならない」


 しかし1990年代生まれの女性、陳君さんがそのすべてを変えるとは予想外だった。彼女は2012年に武夷山から安順を訪れ、長く滞在したことで地戯文化を知った。職人たちが生計を立てられるようにするため、陳さんはタオバオでネットショップを開き、安順の手工芸品を販売した。これらの徐々に忘れられようとしていた「地戯のお面」も、ついに買い手を見つけた。


 村の高齢者はまだ最も古い携帯電話を使用しており、タオバオとは何かを知らない。ところがこの便利でスムーズな手段により、生活が改善された。以前はお面を1個50元で売っていたが、楊さんは現在1個で150−200元の利益を手にすることができる。「私の商品が北京、香港、さらにはシンガポールに売られている」これは彼が当初、想像もしなかったことだ。「次の世代に伝承しなければならない。私には2人の息子がいるが、今後も彫刻はできるはずだ」


 周官村のチームの最年長者は76歳で、その他のメンバーも60代が中心だ。まだ跳戯を上演できるのは十数人のみだ。幸いにも、村に残った若者が跳戯の学習を始めた。「これは先祖から伝わるモノであり、失うわけにはいかない」

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