写真>新着写真>
japanese.china.org.cn |18. 06. 2019

記者団、再び「2万5千里の長征」の道を歩く

タグ: 長征 記者団 70周年 

(壮丽70年 奋进新时代·记者再走长征路)(8)“记者再走长征路”上的特别党课


 記者団は17日、長汀県南山鎮中復村を訪れた。「壮麗なる70年・奮闘の新時代――記者が再び長征の道を行く」に参加する記者は同日、福建省長汀県中復村を訪れ、特別な授業を受けた。彼らは革命の先達の足跡をたどり、紅色の歴史を振り返り、崢嶸たる歳月に思いを馳せた。福建省長汀県の中復村は当時、紅軍が長征に出発した村だった。


 中国工農紅軍の長征の勝利は、人類史上の奇跡と言える。紅軍は長征の2年間で、14省を転戦し、さまざまな曲折を経て、度重なる困難や危険を乗り越え、革命の中堅を担う力を保持・鍛錬し、中国革命の大本営を西北部へと移転し、抗日戦争の展開と中国革命事業の発展を可能とする条件を作り出した。

紅軍は長征でどれほどの距離を歩いたか

紅軍の長征と言えば、「2万5千里」(1万2500km)を踏破したというのが慣例となっている。この「2万5千里の長征」は実際には、紅軍第一方面軍の長征を指している。長征に参加した各紅軍はそれぞれどれほどの距離を行軍したのか。各紅軍の長征の総距離はいったいどれほどか。

紅軍第一方面軍の長征が陜北地方に到達した後、中央は、長征に参加した同志に回顧録を記すよう呼びかけ、一部の同志を組織して長征の距離を統計した。統計の結果は、「最も長く歩いた部隊は約2万5千里を歩いた」というものだった。1935年11月5日、毛沢東は、随行部隊に対する講話の中で、「(紅軍)第一軍団の統計によると、最も長い部隊は2万5千里を歩いた。まさに遠征であり、その名にふさわしい、かつてない長征であった」と語っている。

 

1935年11月13日、「日本帝国主義による華北併呑及び蒋介石による華北と中国の売り渡しについての中国共産党中央委員会の宣言」において対外的に初めて、中国工農紅軍が「2万5千里の長征を経て、11省の中国の領土を歩み、1年余りの困難な戦いと不撓不屈の精神によって、中国の西北地区への最終的な到達という勝利を収め、陝西・甘粛両省の紅軍と合流した」と発表した。

中共中央の対外宣言と党の指導者の講話ではこの後、紅軍第一方面軍の長征について語る際には「2万5千里の長征」と言われるようになった。紅軍第一方面軍の各部隊の長征の距離は異なるが、「最も長く歩いた部隊」の2万5千里に基づき、紅軍第一方面軍は2万5千里を長征したと語るのが、人々の習慣となった。

 

長征ではこのほか、紅軍第二十五軍が1万里(5千km)近く、紅軍第四方面軍が1万里余り、紅軍第二方面軍が2万里(1万km)近くを行軍したとされ、各紅軍の長征の総距離は約6万里(3万km)余りと考えられている。

 「中国網日本語版(チャイナネット)」 2019年6月18日

<  1  2  3  4  5  6  7  8